青谷梅林
あおだにばいりん
城陽市の南、青谷川両岸の広範な丘陵地を占める梅林で、天山を中心に北は播磨崎・堂山、南は石神・百間場、さらに青谷川を越えて大谷・白坂に及ぶ。
「山城名勝志」は、後醍醐天皇の皇子宗良親王の歌として
<資料は省略されています>
を載せる。当時すでに梅の名所として知られていたものであろうか。近世には淀藩主より梅栽培の奨励を受けて隆盛し、青谷川渓流付近の大谷では、藩主らの観梅の会が度々催された。また市辺村の六兵衛は、梅樹の栽培に功有りとして淀藩主より「梅本」の姓を賜ったという(青谷村誌)。
当時の青谷梅林の梅実は「コス」とよばれる小梅で、干梅のほか、焼梅・烏梅(染色原料)として、京・大坂の紅粉屋へ搬出された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報