青ヶ島(村)(読み)あおがしま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「青ヶ島(村)」の意味・わかりやすい解説

青ヶ島(村)
あおがしま

東京都八丈支庁に属する村。伊豆諸島最南端の青ヶ島全島を範囲とする。東京の南358キロメートル、八丈島の南68キロメートルの洋上に位置する。火山島で、周囲は絶壁であり青ヶ島港(三宝(さんぽう)港)の設備が不十分であったため、風波の強いときは艀(はしけ)の着岸が困難で欠航となることが多かったが、港湾整備が進み、2000年(平成12)には大型貨客船(500トンまで)の接岸が可能となった。1993年(平成5)ヘリコミューター路線が就航、八丈島との間に便がある。外輪山北部の休戸郷(やすんどごう)と西郷(にしごう)がおもな集落である。耕地は少なく、サツマイモサトイモ、麦などが自給用に栽培されていた。1965年(昭和40)ごろから肉牛が導入され、1990年代には温暖な気候を生かした熱帯果物パッションフルーツの栽培も盛んとなった。主産業は長く木炭に依存してきたが、木炭の衰退後は土木事業などに従事し、1980年代以降はサービス業も増加している。近年は、花卉(かき)栽培のほか、島中央部の火山の噴気孔(ひんぎゃ)の蒸気熱源として海水を煮詰めてつくる「ひんぎゃの塩」や、サツマイモ・麦麹原料とした焼酎の製造が盛んである。近海は、好漁場であるため、水産業振興のための漁港の整備が進められ、漁船用索道も設置(1997)された。亜熱帯海洋性気候と、祭文(さいもん)が語られるなど古い民俗を残していることから観光地としても期待され、島民との交流施設「ふれあいサウナ」(1992年完成)が設けられた。明治時代には人口750を数えたが、減少している。なお、室町時代は関東管領(かんれい)上杉氏、戦国時代は後北条氏(ごほうじょううじ)の支配を受け、江戸時代は天領であった。面積5.96平方キロメートル、人口169(2020)。

[沢田 清]


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