霊山寺跡(読み)りようぜんじあと

日本歴史地名大系 「霊山寺跡」の解説

霊山寺跡
りようぜんじあと

[現在地名]東山区清閑寺霊山町

霊山(霊鷲山)にあった正法しようぼう寺の前身の寺。天台宗比叡山延暦寺に属した。「見聞随身抄」には元慶八年(八八四)光孝天皇の堂宇建立に始まるとある。開基は最澄と伝えるが定かでない。宇多天皇勅願寺となし堂塔を整え、本尊釈迦仏を安置した。インドの霊鷲山は釈迦の故跡であり、寺名はこの釈迦仏安置と関連があろう。「日本紀略」寛弘元年(一〇〇四)三月一八日条にある「霊山堂供養」は、霊山寺釈迦堂をさすと思われる。藤原明衡に「遊霊山寺」の七言絶句があり、治承二年(一一七八)中宮徳子の懐妊祈祷にあたった七四ヵ寺に霊山寺の名をみ(「山槐記」同年一一月一二日条)、また「法然上人行状絵図」は元久二年(一二〇五)法然がこの寺で別時念仏を修したことを記す。

霊山寺跡
れいざんじあと

[現在地名]熊本市魚屋町一丁目

魚屋うおや一丁目の南側にあり、南は正覚しようがく寺と接していた。常在院吉野山と号し、天台宗、本尊十一面観音。「国誌」によれば、開基年代等不明、中興は大僧都豪淳。本尊と不動毘沙門はともに平安中期の定朝作という。二〇間四方の免許地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報