清閑寺村(読み)せいかんじむら

日本歴史地名大系 「清閑寺村」の解説

清閑寺村
せいかんじむら

[現在地名]東山区清閑寺〈池田いけだ町・うた中山なかやま町・清水上山きよみずうえやま町・下山しもやま町・やまうち町・霊山りようさん霊山町〉

東山の清水山(標高二四二・五メートル)山麓から山頂部にかけて立地、池田・法華寺山ほつけじやま・山之内・清水下山・清水上山・歌ノ中山・霊山の字よりなる。東は宇治郡北花山きたかざん(現山科区)に接し、南は新熊野いまぐまの村、西は大仏境内の諸町及び清水・八坂やさかに連なり、北は粟田口あわたぐち村と境した。京都御役所向大概覚書に二条堀川にじようほりかわ(現中京区)より当村への里程を一里八町とする。阿弥陀あみだみね北麓を経て山科やましな醍醐だいごへ抜ける渋谷しぶたに街道が通る。村名は一〇世紀末に当地に建立された清閑寺にちなむ。

村域は広いが大半が森林に覆われた山地で、渋谷街道筋の池田と正法しようぼう寺の所在する霊山を除いて、人家のみられぬ所が多かった。元禄二年(一六八九)刊「京羽二重織留」に家数二四軒、寺数二ヵ寺とみえる。江戸時代の村高は元禄一三年山城国郷帳(愛宕おたぎ郡)で一五石六斗九升とあり、幕末まで変化をみない。享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳による知行内訳は七石二斗九升が御蔵入、八石四斗は妙法院みようほういん宮御領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報