雪下村(読み)ゆきのしたむら

日本歴史地名大系 「雪下村」の解説

雪下村
ゆきのしたむら

[現在地名]鎌倉市ゆきした一―四丁目・小町こまち二丁目・西御門にしみかど一―二丁目

鶴岡八幡宮から大倉おおくらの幕府跡を含む一帯に位置し、北は山之内やまのうち村、東は西御門村二階堂にかいどう村・浄明寺じようみようじ村、南は小町村・大町おおまち村、西はおうぎやつ村に接する。中世の鎌倉の中心にあたり、若宮大路わかみやおおじ小町大路よこ大路六浦むつら道などが村内を走る。雪下の地名の起りは、源頼朝が鶴岡別当坊の北向きの山陰に氷室を作って、冬に雪を長櫃に詰めて夏まで保存させようとした(「吾妻鏡」建久二年二月一七日条)、この雪屋の下の方の地という意味からで、「吾妻鏡」建保元年(一二一三)正月四日条に将軍実朝が鶴岡若宮別当の雪下本坊に渡御したと記す。そのほか、同書には若宮別当の坊の所在地として雪下の名が数回現れ、また雪下北谷の名もみえる(承久元年一月二七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報