雉子町(読み)きじちよう

日本歴史地名大系 「雉子町」の解説

雉子町
きじちよう

[現在地名]千代田区神田美土代町かんだみとしろちよう神田司町かんだつかさまち二丁目

三河みかわ町四丁目の北に位置する町屋で片側町。東は神田佐柄木かんださえき町、西は四軒しけん町、北は道を挟んで酒井氏拝領屋敷。元和年間(一六一五―二四)雉子橋きじばし御門外にあった町地を当所に移したという(東京市史稿)。明暦三年(一六五七)新添江戸之図には「サヤキ丁」の東に「キチ丁」とみえ、寛文新板江戸絵図では三河町四丁目の東に「きじ丁」とある。なお寛永江戸図には「さやき町」の東に記される。公役町で、小間数は京間一二二間余(安永三年小間附町鑑)。文化年間(一八〇四―一八)には御用達町人として山田喜右衛門(経師並屏風師)の名がみえる(武鑑)。文政七年(一八二四)の江戸買物独案内には乾物問屋(川村伝吉)が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報