陸上村(読み)くがみむら

日本歴史地名大系 「陸上村」の解説

陸上村
くがみむら

[現在地名]岩美町陸上

小羽尾こばによお村の東に位置する。東は但馬国境。砂丘の南側に集落が広がり、但馬往来東西に横断、集落東端で陸上鼻基部の山塊にあたり北上したのち国境の七坂八しちさかはち峠を東に越える。天正八年(一五八〇)の山名豊弘宛行状(因幡民談記)によれば「巨野郡宇治、大野、陸上」が「奉公之段神妙」との理由で中島四郎左衛門に与えられている。陸見村とも記した(「在方御定」など)。集落は東西に分れ西側を本村とし西陸上村と通称、東側は東陸上村(中島村とも)と称された。南に支村の田河内たのこうぢ村があり、享保一九年(一七三四)以前に領内に限り一村となっていたらしい(同年鈴木孫三郎所持本「因幡誌」)

当村の拝領高は二六一石余、本免は六ツ八分。前掲「因幡誌」によれば高三八〇石、竈数七〇余。延享三年(一七四六)の竈数は八二(うち東陸上村四二)であった(「在方諸事控」天保四年八月二〇日条)。「因幡志」では家数一三〇で、安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高四七九石余(田河内分も含む)、竈数一〇四(うち医師一)。明暦三年(一六五七)には番所が置かれていたが、正徳五年(一七一五)以前に廃された(在方御法度・在方御定)。貞享二年(一六八五)まで庄屋は一人であったが、元禄年中(一六八八―一七〇四)には東・西に一人ずつ置かれることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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