阿木名村(読み)あくぅにやむら

日本歴史地名大系 「阿木名村」の解説

阿木名村
あくぅにやむら

[現在地名]瀬戸内町阿木名あぎな

伊須いすい村の北西に位置し、集落は深い入江に臨む。阿木名あぎな川が南東流する。アクゥニャのほかアギィナともいう。隆慶五年(一五七一)三月一一日の琉球辞令書(名柄文書)に「せんとうちひかまきりのあきにや」とみえ、名柄ながら(現宇検村)の掟職を務めた「たらつゐはん」が瀬戸内ひぎや間切にある当地の「めさし」(目差職・目指職)に任じられている。

阿木名村
あぎなむら

[現在地名]天城町西阿木名にしあぎな 西阿木名

瀬滝しだき村の南に位置し、西部は海に臨む。東部に井之川いのかわ岳・丹発たんぱつ山・はげ岳、南部に犬田布いぬたぷ岳があり、北を秋利神あきりがみ川が流れる。西の谷を下ると「おおよし」の集落があり、さらに海岸の断崖を下ると阿木名泊に出る。地内に秋利神・三京田みきようだ花徳道けどみちなどの地名がある。西目にしめ間切兼久かねくのうち。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、海岸部に「あきり神川」とあり、歩渡りと記される。「三州御治世要覧」では西目間切一五ヵ村のうちに「阿木名村」とある。

阿木名村
あぎなむら

[現在地名]龍郷町秋名あきな

幾里いくざと村の北西に位置し、集落は入江に臨む。秋名川が北流する。名瀬なぜ間切龍郷たじご方のうち。稲の伝来にまつわる島建て神話を伝えるほか、グスク跡があり、またテンツ森は祭場跡とも、ヤマトのいくさ大将が拠点にしていたとも、戦場跡ともいわれる。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、北西の岬(武運崎)辺りに「のりせい崎」と記される。正保五年(一六四八)大熊でつくま(現名瀬市)ノロの男の下人「まつ」を「あきな村」の「御百しや」(百姓)に取立てることにしており、その覚書には「あきな掟」らの署名が記される(「かき物」名瀬市誌所収大熊ノロ文書)。「大島私考」に龍郷方一〇ヵ村のうちとして「阿木名村」とみえ、高四〇九石余、うち享保内検後の開地は一七石余、損地が四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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