阿寺(読み)ばんなじ

日本歴史地名大系 「阿寺」の解説

阿寺
ばんなじ

[現在地名]足利市家富町

金剛山仁王院法華坊と号し、真言宗大日派総本山。本尊は大日如来。建長三年(一二五一)三月八日の足利泰氏置文(鑁阿寺文書)に「鑁阿寺供僧中」とみえるのが当寺の初見であろう。建久七年(一一九六)足利義兼は自ら開基となり、居館内にあった持仏堂を発展させ「堀内御堂」「堀内大御堂」と称される堂宇を建立、伊豆走湯そうとう(現静岡県熱海市)の東寺系密教僧で、樺崎かばさき寺の住持となっていた理真朗安を招請して開山とした(「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」同文書)。正治元年(一一九九)義兼が没すると、金剛界大日(バン・鑁)・胎蔵界大日(ア・阿)という種子をとって鑁阿寺殿と諡され、堂宇は鑁阿寺と称せられた(なお備後国太田庄に関係した高野山の鑁阿上人は別人)。義兼の子義氏は天福二年(一二三四)に大日如来を安置する大御堂を建立(「大御堂棟礼写」当寺蔵)、これを中心に両界曼荼羅のある東堂・西堂・中御堂(護摩堂)・僧坊・多宝塔・経蔵などが次々に建立され、この時期に館全体が寺院化したと考えられる。

仁治二年(一二四一)二月二九日の足利義氏忌日仏事用途配分状(鑁阿寺文書)によると、義兼遠忌法会に導師一人と請僧一一人が参仕しており、義氏の寺内組織整備の一環として一二口の供僧が東西両堂に置かれ、供僧制度が整えられた。


あしゆくじ

奈良市法華寺ほつけじ町付近にあったとされる古代寺院。奈良時代末期に石上宅嗣がその旧宅を喜捨して創建した寺で、本尊には阿如来を安置した。このことは「延暦僧録」や「続日本紀」などに伝えられるが、その所在地については明記がない。鎌倉時代に至って、釈実叡の「建久御巡礼記」に初めて阿寺の位置についての記事がある。同書法華寺条に「此寺鳥居東南幾不去、田中松一本生所、是昔跡也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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