間中村(読み)まなかむら

日本歴史地名大系 「間中村」の解説

間中村
まなかむら

[現在地名]小山市間中

おもい川西岸に位置し、東は塩沢しおざわ村、南は間々田ままだ村、西は網戸あじと村。永正七年(一五一〇)六月二〇日の下野国先達注文(米良文書)に「小山かミま中門弟 下間中門弟」がみえ、上下に分郷していた。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)には小山領下郷分「上間中」から六貫一〇〇文、同分「下間中」から一三貫五〇〇文の伊勢役銭が納められている。永禄一〇年(一五六七)七月一二日小山秀綱から母の菩提所である中久喜松厳なかぐきしようがん(松岸寺)に間中郷内の梅子給本八貫文・荻野給分三貫五〇〇文の計一一貫五〇〇文が寄進されている(「孝山小山秀綱寄進状」荒川要氏所蔵文書)

間中村
まなかむら

[現在地名]岩瀬町間中

岩瀬盆地の北東部にあり、南は亀岡かめおか村・飯田いいだ村。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。間中村差出帳(大和田家蔵)によれば、慶安三年(一六五〇)検地が行われ、万治三年(一六六〇)・延宝五年(一六七七)・元禄一五年(一七〇二)に新開検地が行われた。「茨城郡村々様子大概」(笠間稲荷神社蔵)によれば、村には御林一(二一町歩)、村山一、溜池五、四壁山三、竹藪三があり、山野福崎ふくざき亀岡両村の草刈場でもある。売物は小麦・木綿・荏で、文化期(一八〇四―一八)の戸数一六・人数六七、馬四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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