門野村(読み)かどのむら

日本歴史地名大系 「門野村」の解説

門野村
かどのむら

[現在地名]明智町杉野すぎの

杉平すぎだいら村の東にある山中小村。美濃国諸家系譜の遠山氏の項によれば、天正一二年(一五八四)没した友政の弟角野高四郎が「香戸野ノ城主」であったという。慶長郷帳に方野村とあり、高一六一石余。正保郷帳では田方一一三石余・畑方四七石余。文政三年(一八二〇)の家数五四・人数二三〇(「村歳代日記帳」佐々木文書)。山中の小村のため山論が多く、宝永三年(一七〇六)には馬場山田ばばやまだ(現山岡町)と門野・峰山みねやま高波たかなみ村の間で木草・馬草・薪等につき争い、宿主人扱いで内済となる。

門野村
かどのむら

[現在地名]身延町門野

波木井はきい川の支流大城おおじろ川が北東流する左岸、同川に注ぐ湯沢ゆざわ川左岸の段丘上に位置し、北東は小田船原おだふなはら村。慶長古高帳に門野とみえ、高一二石余。延宝五年(一六七七)改の寛文一一年(一六七一)検地帳(県立図書館蔵)によると高四四石余、反別は上田一町一反余・中田五反余・下田二反余・下々田一反余・山田二畝余、上畑三反余・中畑一町四反余・下畑一町七反余・下々畑三町七反余・山畑一町四反余・苅立畑一〇町八反余、屋敷二反余、ほかに本妙ほんみよう(現日蓮宗)・明神社の除地がある。

門野村
かどのむら

[現在地名]大屋町門野

宮本みやもと村の南西明延あけのべ川の流域に位置する。集落宮本村の集落と連なって形成され、この両集落が南谷みなみだに筋の中心街の様相を呈している。江戸時代の領主変遷は宮本村に同じ。慶長一八年(一六一三)の小出吉英所領目録(金井文書)では大屋庄高九八七石余に含まれて高付されていたと思われる。宝永三年(一七〇六)の出石藩所替書類によると旧高五二石余・改出高八石余。

門野村
かどのむら

[現在地名]松崎町門野

船田ふなた村の北、標高約二五〇メートルの山腹に位置する。応永八年(一四〇一)二月一二日の荒神像銘(火産霊神社所蔵)に「門野村」がみえる。中世仁科にしな庄に含まれ、火産霊ほむすび神社棟札によると、嘉吉三年(一四四三)一二月一七日に仁科庄門野村に三宝大荒神社が造立され、弘治二年(一五五六)二月には社殿の修理が行われた。

門野村
かどのむら

[現在地名]相生市矢野町榊やのちようさかき

榊村の南、榊谷の入口に位置する。江戸時代の領主の変遷は、安永七年(一七七八)までは榊村に同じであるが、同年以降も幕府領。天明二年(一七八二)大坂城代戸田忠寛(下野宇都宮藩)領、同七年以降は幕府領。ただし弘化元年(一八四四)より龍野藩預となった(相生市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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