長水城跡(読み)ちようずいじようあと

日本歴史地名大系 「長水城跡」の解説

長水城跡
ちようずいじようあと

[現在地名]山崎町宇野五十波片山上牧谷大谷

長水山城ともいう。標高五八四・八メートルの長水山の山頂に築かれた中世の山城跡。山麓からの比高は約四五〇メートル。広瀬師頼が築城したとされるが(赤松家播備作城記)、当時の史料からは確認できない。戦国時代には宇野氏が城主であった。天正八年(一五八〇)の三木城落城後も城主の宇野民部は織田信長に従わなかったため、同年四月に羽柴秀吉の攻撃を受けている。このとき秀吉英賀あが(現姫路市)の寺内町攻めに引返すため当城の周囲に付城を築き、城を封鎖している(信長公記)。五月九日から再攻撃を受け、一〇日に落城した(六月一九日羽柴秀吉条々事書「利生護国寺文書」紀伊続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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