長志村(読み)ながしむら

日本歴史地名大系 「長志村」の解説

長志村
ながしむら

[現在地名]大原町長志・沢部さわべ佐室さむろ

すずり村の北、東西の丘陵地の間を落合おちあい川が流れ、中央を通る大多喜おおたき城下(現大多喜町)御宿おんじゆく海岸(現御宿町)を結ぶ道沿いに街村が形成されている。長志郷・長志郷村とも称された。のち領内では小村沢部さわべ村・佐室さむろ村が一村として扱われるようになり、本郷を長志村と称したが、長志郷三ヵ村として強い関係性を保っていた(丸家文書)。元禄郷帳・天保郷帳などでは長志郷一村で高付されている。鎌倉期と推定される称名寺領上総国請地等注文(金沢文庫文書)に永志郷とみえ、郷内の田一町のうち三反が金沢称名寺領で、一反ずつ耕作していた三人のうち紀藤次が六斗、藤源太が五斗五升、幡摩が五斗の年貢をそれぞれ負担していた。応永二四年(一四一七)八月の日英末寺等支配注文(法宣院文書)に「周東郡上村板御堂、(中略)同郡南長石顕妙寺」とみえる寺は、地内の日蓮宗顕妙けんみよう寺とみられる。天正年間(一五七三―九二)万喜まんぎ(現夷隅町)の土岐頼春は「長志城」城主などと戦ったという(房総治乱記)

文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に「長□」高一千六一七石とみえるのは当村と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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