長崎台場跡-魚見岳台場跡(読み)ながさきだいばあとうおみだけだいばあと

国指定史跡ガイド の解説

ながさきだいばあとうおみだけだいばあと【長崎台場跡-魚見岳台場跡】


長崎県長崎市戸町にある台場跡。江戸時代、天領である長崎には1652年(承応2)に7ヵ所の海防施設である台場(古台場)が築かれ、石火矢大砲)台が備えられた。次いで1808年(文化5)に5ヵ所が築かれ、新台場と総称されている。しかし、その年、一隻の軍艦「フェートン号」が長崎港に入港し、薪水の補給を要求される事件が起き、さらに4ヵ所の台場(増(まし)台場)が築かれた。魚見岳台場は、1810年(文化7)に築かれた増台場の一つで、魚見岳の西斜面に造られ、神崎鼻(こうざきはな)に造営された神崎台場と相対する形で、長崎港の入り口を防御している。下から変形六角形の三ノ増台場、ほぼ長方形の二ノ増台場、L字形の一ノ増台場と続くが、三ノ増台場と二ノ増台場の間は100m余、二ノ増台場と一ノ増台場の間は30m余を隔てている。三ノ増台場と二ノ増台場の北にほぼ接して、3つの区画が上下1列に続くが、下ノ段は道具小屋・常住小屋が設けられた個所で、中ノ段は用途が不明な方形の場である。中ノ段の上24mの所には上ノ段があり、御石蔵(火薬貯蔵庫)が造られていたが、御石蔵以外には建物は現存しない。御石蔵は平面3.5×3.7mの平屋建て瓦葺きで、遺存状況は良好である。1986年(昭和61)に国の史跡に指定された。JR長崎本線長崎駅から長崎バス「女神下車徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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