長島浦(読み)ながしまうら

日本歴史地名大系 「長島浦」の解説

長島浦
ながしまうら

[現在地名]紀伊長島町長島

赤羽あかば川を隔てて二郷にご村の南西に接する。中世は伊勢神宮領、志摩国英虞あご郡中嶋御厨(神鳳鈔、外宮神領給人引付)の地。長島の地名は、沙弥実意を長嶋厨の預所職に補任し、恒例・臨時の課役(供膳の魚介)を懈怠なく献納するようにという弘安九年(一二八六)七月の阿闍梨某下文案(御巫家退蔵文庫旧蔵古文書)にみえる。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「長島村」と記されている。「紀伊続風土記」に、

<資料は省略されています>

と記されている。慶長九年七月一一日江戸城修理のため、紀伊国へ石船三九三艘の造船が命じられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報