長与浦(読み)ながようら

日本歴史地名大系 「長与浦」の解説

長与浦
ながようら

[現在地名]長与町斉藤郷・岡郷

近世、大村湾に臨んで置かれた浦。海運と漁の拠点であった。正保国絵図では「長与浦」は遠浅で船繋ぎが悪いと記される。「大村郷村記」では長与浦として船数五四で、うち一反帆船一二・二反帆船二八・三反帆船九・四反帆船五。長与浦はどう崎と崎に囲まれ、堂崎から船津入口まで一里二一町余、船津川入口から入江の長さは六町余、横一八間ほどで、船の係留はいずれの風にも良好という。また瓦葺の船津番所は慶安二年(一六四九)大坂浪人永井勘兵衛を長崎で捕らえた折、長崎奉行の命で建立したもので、番士一人が詰め、鉄砲二・軍弓一・長柄一などを備える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報