鉱害(読み)コウガイ(英語表記)injury from mining

デジタル大辞泉 「鉱害」の意味・読み・例文・類語

こう‐がい〔クワウ‐〕【鉱害】

鉱業がもたらす害。地下採掘による有毒ガスの発生、鉱水の流出、地盤沈下、製錬過程での鉱煙や廃水の排出など。

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精選版 日本国語大辞典 「鉱害」の意味・読み・例文・類語

こう‐がい クヮウ‥【鉱害】

〘名〙 鉱物資源の採掘、製錬の過程で生ずる環境破壊。坑道内の有毒ガスなどによる被害。また、一般社会に及ぼす、地下採掘による地盤の沈下、鉱毒水の河川への流出、製錬所から出る煙の被害など。廃山による二次的な被害も含む。
鉱業法(1950)第六章「鉱害の賠償」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉱害」の意味・わかりやすい解説

鉱害
こうがい
injury from mining

鉱山が採掘、選鉱、製錬などの過程で第三者に与える害。鉱山に起因した公害ともいうべきものである。鉱業法(昭和25年法律289号)第109条には「鉱物の掘採のための土地の掘さく、坑水若(も)しくは廃水の放流、捨石若しくは鉱さいたい積又は鉱煙の排出によって他人に与えた……損害」と定義されている。今日では休廃止した鉱山による二次的な鉱害もみられる。

[西田 正]

鉱害の歴史

鉱害は公害の原点ともいわれるようにその歴史は古い。すでに江戸時代に佐渡(新潟)、別子(べっし)(愛媛)、生野(いくの)(兵庫)、土呂久(とろく)(宮崎)など、金属鉱山における鉱毒の記録がある。本格的な鉱害の発生は、近代化が推進された明治時代に入ってからである。足尾(栃木)、別子、日立(茨城)、小坂(こさか)(秋田)などで鉱毒、煙害事件が続出した。石炭採掘による鉱害が次に続く。明治以来約1世紀にわたる石炭採掘のため、筑豊(ちくほう)(福岡)、宇部(山口)などの産炭地では著しい被害を被り、被害はまだ残存している。

 第二次世界大戦後の鉱害では、日本の四大公害裁判の一つであるイタイイタイ病事件が著名で、ほかに水溶性天然ガス採取に起因した地盤沈下問題がある。新潟ガス田、南関東ガス田における地盤沈下が知られ、1955年(昭和30)ごろから顕著となった。過剰なガス採取に伴うガス層内の圧力低下が原因である。ガス採取量の制限、地下への還元など種々の規制措置の結果、沈下は鈍化傾向を示している。今日では休廃止金属鉱山の坑内水の流出、旧産炭地における浅所(せんしょ)陥没の発生、古洞水(ふるとうすい)の湧水(ゆうすい)など二次的な鉱害の発生が新たな問題となっている。

 外国では石炭採掘による鉱害が古くからみられる。ドイツ、イギリスなどではすでに18世紀以来、石炭採掘がなされ、しかも比較的狭い地域で農地や工業地帯などの下が多く採掘されているため被害の歴史も古い。したがって、鉱害防止のための採掘方法、測量制度、鉱害賠償制度なども早くから検討されている。たとえばドイツでは、マルクシャイダーMarkscheiderの名称で鉱業権者および土地所有者から独立している鉱山調査測量技師の制度が確立されている。古くから精密な測量を継続して行っており、これが今日の正確な鉱害予測の基礎となっている。イギリスでは、炭鉱の国有化(1946)によって採掘法が統一されたため、鉱害の減少、鉱害賠償の円滑化などの成果を得ている。

[西田 正]

鉱害の種類と対策

土地の掘削による鉱害

石炭、亜炭の採掘に伴う地盤沈下が大きな問題である。被害は明治時代にもみられたが、昭和に入ってとくに激烈を極めた。筑豊炭田宇部炭田などの被害が著しく、最盛期には246鉱山で全国出炭量の約40%を占めた筑豊炭田では、累計沈下量が7~8メートルに及んだ所もあった。「石炭採掘による鉱害のため、美田変じて泥海と化し、住宅は日夜倒壊の危険に脅かされ、交通機関は杜絶(とぜつ)し、祖先の墳墓は水底に没する等惨憺(さんたん)たるその実情は、路傍の人もなお、正視するに忍びないものがある」(1950年、第7回国会衆議院本会議での鉱害に関する決議の冒頭部分)ともあるように、被害は広範囲に及んだ。

 石炭採掘による被害現象は、地表面の沈下、傾斜、湾曲、水平移動、およびひずみの五つの要素(鉱害五要素)に分類される。これらの要素が単独あるいは複合して、田畑、家屋、鉄道、橋梁(きょうりょう)、道路、河川、井戸、上下水道などの地表物件に諸種の被害を与える。水平な炭層が採掘された場合、限界角(採掘端と地表面の沈下端を結ぶ線が水平面となす角)で規定される範囲の地表面が移動する。限界角は地域により異なるが、日本では55度前後である。沈下は採掘中央部の直上付近がもっとも大きくなる。地表面の水平移動は採掘中央部では小さく、採掘端の直上付近が最大となる。ただし、採掘の左右では移動の方向が異なる。沈下量は、採掘された炭層の厚さ(山丈(やまたけ)または炭丈(すみたけ)という)に比例するが、採掘跡の充填(じゅうてん)、保安のための炭柱を残す採掘方法などにより沈下量を減少させられる。また、採掘の順序、速さ、範囲などを適当に調整して採掘(調和採掘法)を行うと、地表上の特定な地域の傾斜あるいは引張りひずみがなくなり被害が最小となる。今日では日本の地盤特性に応じた沈下理論も確立され、沈下予測計算も可能となっている。

 炭鉱閉山後は浅所陥没が新たな問題となる。地盤強度の低下、構造物などの荷重、地下水位の変動などが原因となり、地表面が地下浅所に残存している坑道あるいは採掘による空洞(古洞)へ瞬時に陥没する現象であり、つぼ抜けともいわれる。降雨との関連性がきわめて強く、雨期、豪雨時に頻発する。旧産炭地の筑豊地区では毎年50~60件発生している。地震も浅所陥没発生の誘因となる。1978年(昭和53)6月の宮城県沖地震(マグニチュード7.4)のとき、東北地方の亜炭採掘地域(宮城、北上、最上(もがみ)、相馬(そうま)など)では、通常毎年15~20件の浅所陥没が、一挙に200件以上発生している。浅所陥没は一般に古洞深度が30メートル以浅で、しかも炭層露頭線近くに多発している。陥没孔の大きさは直径3メートル、深さ2メートル程度のものが多い。旧産炭地に重量構造物を構築する場合の対策工法には、(1)充填工法、(2)剥土(はくど)工法、(3)杭(くい)打ち工法、(4)梁(はり)工法などがあるが、古洞の賦存状況、構造物の種類、経済性などを考慮して選択される。

 石炭採掘による鉱害の復旧は、臨鉱法とよばれる臨時石炭鉱害復旧法(昭和27年法律295号)に基づいて行われている。臨鉱法は当初10年の時限法であったが、累積している鉱害が膨大であったため、これまで二度延長されている。復旧は無過失賠償責任制度、すなわち加害者・被害者当事者間の解決に任された形であるが、国および地方自治体も一部負担して復旧している。とくに農地についてはその負担割合が大きく、鉱業権者は15%の負担でしかない。鉱業権者が無資力または所在不明の場合は国および地方自治体で復旧を行っている。1981年までに国が投じた鉱害復旧費は4000億円にも達するが、未復旧の農地、家屋などはまだ残存している。

[西田 正]

鉱廃水による鉱害

足尾銅山鉱毒事件、イタイイタイ病事件などがこの種の鉱害では著名である。足尾銅山および神岡鉱山の鉱廃水がそれぞれ渡良瀬(わたらせ)川、神通(じんづう)川を汚染し、沿岸流域の住民、農作物などに被害を与えたものである。鉱廃水とは、坑内水、露天掘り廃水、選鉱廃水、捨石または廃滓堆積(はいさいたいせき)場からの浸出水などである。多くの場合、遊離酸、重金属イオン、微細な鉱物粒子などの有害物質を含有する。また、鉱山が操業停止後も、坑口から坑内水を流出し被害を及ぼす場合もある。通商産業省(現経済産業省)の資料によると、約5700の休廃止鉱山のうち少なくとも約600鉱山は坑内水流出の危険性があり、鉱害防止対策が必要とされている。その方法には(1)中和沈殿法、(2)坑道閉塞(へいそく)法などがある。(1)は坑内水中の遊離酸を消石灰炭酸カルシウムなどで中和し沈殿除去する、もっとも確実な方法ではあるが、処理施設建設費、処理費、さらに中和沈殿物の廃棄場所が必要である。旧松尾鉱山(岩手)の場合、建設費として約65億円、処理費として毎年約5億円が必要とされ、中和沈殿物の堆積場は20年分しかないといわれている。(2)は坑道をコンクリート製のプラグ(ダム)で密閉し坑内水の流出を防止しようとする方法で、施行後の維持管理は不要であるが、坑道周辺の岩盤が軟弱な場合、閉塞箇所が多い場合などは不適である。ほかに、坑内水を地下に戻す地下還元法、地下水が鉱体と接触しないように鉱体を被覆する方法などがある。

 旧産炭地でも金属鉱山の場合と同様な問題が生じている。炭鉱閉山後の坑内水位上昇による坑内水(古洞水)の湧水である。筑豊地区だけでも湧水箇所は50か所以上もあり、田畑の湿潤化、赤水、河川の汚染などを生じている。古洞水の湧水は一般に50メートル以浅の採掘がある地域で、しかも低地、谷部がほとんどである。湧水箇所よりも標高の高い坑口、採掘跡、山地などのため、古洞水が被圧され、採掘跡、断層、破砕帯などを経由して地表に湧水する。水質は、pH3~5の酸性で硫酸イオンを多量に含み、湧水箇所に酸化鉄の赤い沈殿物を生ずる高濃度のものから、河川水とほぼ同水質の低濃度のものまで多種多様である。古洞水の湧水防止には、揚水により坑内水位を低下させる抑(おさ)え水とよばれる方法がとられている。

[西田 正]

鉱煙による鉱害

この鉱害は煙害ともいわれ、非鉄金属の乾式製錬所から排出される鉱煙による被害が多い。鉱煙は多くの場合、煙塵(えんじん)、亜硫酸ガスなどの有害物質を含有する。煙塵は表面に亜硫酸ガスを吸着するため、空気中での希釈、拡散を妨げ煙害を助長する。しかし、電気的に煙塵を沈積させるコットレル除塵装置の開発の結果、煙塵による害は減少している。亜硫酸ガスは空気に対する比重が2.264であり、500ppmの濃度では人は最初の一息で窒息するといわれている。植物に対する有害作用も著しく、煙害が多発した明治時代には製錬所周辺の山林は荒廃した。別子銅山煙害事件もその一つである。住友鉱業別子銅山の製錬所は当初、新居浜(にいはま)(愛媛)にあったが、排煙中の亜硫酸ガスが農作物などに多大の被害を与えたため、1904年(明治37)四国本土から約20キロメートル離れた四阪島(しさかじま)に製錬所を移転して煙害防止に努めたが、移転後も煙害はやまず、四国本土96町村に重大な被害を及ぼした。煙害防止のため硫煙(りゅうえん)希釈装置と称する低く太い煙突を採用したりしたが、効果は得られなかった。鉱煙中の亜硫酸ガス処理についての研究も積極的に行われ、1929年(昭和4)ペテルセン硫酸製造装置が導入された結果、製錬硫黄(いおう)量の70%以上が硫酸に転化され、1916年(大正5)には1%もあった鉱煙中の亜硫酸ガス濃度は、1931年に0.53%、1935年には0.19%まで減少した。その後、アンモニアを用いた中和法に切り替え、明治時代から続いた煙害事件はいちおう解決した。今日でも鉱煙処理は基本的にはコットレル装置による煙塵除去、亜硫酸ガスの硫酸転化であり、処理技術も大幅に進歩したため、従来のような煙害の発生はほとんどない。

[西田 正]

捨石や鉱滓の堆積による鉱害

この種の鉱害では堆積物の崩壊または流出による被害が多い。捨石は脈石(無価値の鉱石)、浮遊選鉱の廃滓など、鉱滓とは、鉄製錬ではのろ、非鉄製錬ではからみなどといわれている廃棄物である。その処理には、(1)採掘跡の充填に使用、(2)海岸埋立てに使用、(3)土木材料として利用、(4)堆積場に廃棄などがある。(4)が一般的で、谷間に流出防止用の土止め施設(ダム)を築造して、捨石、鉱滓が廃棄される。捨石、鉱滓は含水すると総じて流動性が増加するため、暗渠(あんきょ)などの排水施設も必要である。事故は豪雨時などに多く、代表的な崩壊事例に、1936年11月、尾去沢(おさりざわ)鉱山中沢堆積場(秋田)のダム決壊がある。500人近くの死傷者があり、300戸以上の家屋が被害を被った。地震による崩壊例は少ないが、1978年1月には、伊豆大島近海地震(マグニチュード7.4)による持越(もちこし)鉱山ほうずき沢堆積場(静岡)の崩壊が記録されている。地震による堆積物の液状化が崩壊の原因と考えられている。

 石炭採掘の場合も、ぼたまたはずりとよばれる捨石を多量に産出し、普通は坑外に山積み(ぼた山またはずり山という)されるため、風化に伴う崩壊、地すべりなどの問題を抱えている。ぼた山またはずり山はかつては産炭地の象徴であったが、自然発火などの危険性も有する。対策は、ぼた山の取り崩しが最良であるが、膨大な費用が必要である。現在、取り崩したぼたを用いて海岸の埋立てを行い、埋立地およびぼた山の跡地を公共用地として利用しようとする考えもある。

[西田 正]

『萩原義一・林裕貴著『鉱山読本』第3巻第20号(1963・技術書院)』『飯島伸子著『公害、労災、職業病年表』(1977・公害対策技術同友会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「鉱害」の意味・わかりやすい解説

鉱害 (こうがい)

鉱業活動によって引き起こされる環境破壊,地域社会の損害を指す。本質的には公害の一形態であるが,鉱害が公害一般と区別されてきたのは,日本では鉱業による公害が他にさきがけて早くから激甚化し,鉱害賠償規定も戦前から成立していたためである。

 鉱害は採掘過程からのものと製錬過程からのものとに分かれるが,前者には地表の陥落,地盤沈下,坑内水や捨石からの浸透水による水の汚染があり,後者には大気汚染,製錬排水や鉱滓からの浸透水による水の汚染がある。また,大気汚染や水汚染の結果として土壌中に重金属などの有害物質が蓄積する土壌汚染も問題となる。なお,製錬過程に伴う公害をとくに鉱害と呼んだこともある。

戦前の鉱害の中で激烈をきわめたのは製銅業にかかわるものである。足尾,別子,小坂の三大銅山をはじめ,日立や花岡などの諸銅山はいずれも明治末期から大正初めにかけて農民との大規模な衝突を引き起こした。当時の製銅業は,日本資本主義の確立の過程で,茶,生糸などの初期特産物輸出から綿紡績品などの工業製品輸出への転換をつないだもっとも重要な輸出品製造業であり,近代的軍備や技術移植のための財源として国家的な保護のもとに大規模な生産拡大を行い,農業を犠牲にして成長した。

 最初の大規模な対決となった足尾銅山における足尾鉱毒事件は,1890年の渡良瀬川の大洪水で銅製錬後の鉱滓が大量に流出したことによって顕著となった農作物などの被害をめぐるものであり,農民側は〈押出し〉と呼ばれた大挙上京請願戦術などをとった。しかし,1900年2月,押出しの途中で農民の指導者が多数逮捕されるという川俣事件が起こり,農民の声は押さえ込まれてしまった。栃木県選出の衆議院議員田中正造は01年に議員を辞し,明治天皇の馬車に鉱業停止を訴えた直訴状をかかげて駆けより,このできごとと川俣事件によって足尾鉱毒事件は一大社会問題となった。川俣事件で検挙された農民は全員が無罪となったが,鉱毒そのものは実効の少ない鉱毒防止工事のために防止できず,被害のもっとも激しい谷中村の廃村と遊水池化によって被害者側の敗北に終わった。

 足尾鉱毒事件以後,鉱害事件での政府の対応は,事態の再現をおそれた慎重なものとなった。別子銅山をめぐっては,1892年ころより新居浜での製錬事業が拡大するとともに煙害が激増し,製錬所を1904年には四阪島へと移転したが,これは被害を広域化させただけであった。住友財閥は当初は煙害を否定したが,10年に至り,農商務大臣の斡旋のもとで処理鉱量の制限を含む賠償契約を締結,この契約は39年に亜硫酸ガスの中和施設が完成して被害が激減するまで,10次にわたる更改を通じて効力を維持した。秋田の小坂銅山でも1902年の新製錬所の稼働とともに煙害が激しくなり,地元の各自治体が次々と煙害反対の姿勢を示す中で,09年に賠償協定が締結された。こうした一連の煙害事件において,防止対策としてある程度の成功を収めたのは,14年に日立鉱山で完成した155.7mの高煙突を山頂に建設する方式や,四阪島での鉱量制限および排煙からの硫酸製造による亜硫酸ガスの回収,各鉱山で実施された電気集塵器などである。

 石炭鉱業による鉱害も日露戦争後に激しいものとなった。とくに九州地方では土地陥没を中心とする被害が拡大し,これは鉱害賠償金の継続的な増大を招くこととなった。このため,戦時体制下の生産力拡充政策が乱掘を必至とした中では,無過失責任制度をとり入れた鉱業法の改正も必要となり,39年鉱業権者の無過失責任が定められた。石炭鉱業による鉱害のほか,戦時体制下では,36年11月20日の尾去沢鉱山での廃滓ダムの決壊や,43年9月10日の岩美鉱山における同様の事件など大規模な災害も発生している。

第2次大戦の後に鉱害問題を大きくクローズアップさせたのは,イタイイタイ病である。この病気は神通川下流域の富山県婦中町(現,富山市)を中心に1945年以降に多発し,63年以前は不詳であるが,イタイイタイ病による死者は200名以上にのぼるともみられている。当初は原因不明とされたが,1957年に上流の三井金属神岡鉱業所からの鉱毒によるものであることが指摘され,のちカドミウムの慢性中毒であることが明らかとなった。68年に被害者により補償要求の訴訟がなされ,71年6月の第一審判決,72年8月の第二審判決とも被害者の勝訴となった。イタイイタイ病は水俣病とともに重金属汚染についての認識を新たにさせ,群馬県の安中鉱害(東邦亜鉛安中精錬所による土壌汚染)をはじめとするカドミウム汚染や,宮崎県の土呂久鉱害(亜ヒ酸を製造していた土呂久鉱山周辺での慢性ヒ素中毒)をはじめとするヒ素汚染が問題化することとなった。これらの鉱害は,戦時体制下での乱掘や戦後の復興から高度成長期にかけての強引な生産拡大に原因するものである。今日では,鉱害を公害一般から区別しなければならない技術的な特殊性は存在せず,公害防止技術によって防止しうるものである。
執筆者:

鉱業法(旧鉱業法は1905年公布。現行法はそれを全面改正して50年公布)はその109条で,鉱物を採掘したり鉱石を製錬する際の廃水などの放流,鉱煙の排出,鉱滓などの堆積によって,農作物や人の健康に損害を与える場合のほか,土地を掘削してできた坑道の崩壊による地盤沈下により,地表の建物や田畑に損害を与える場合をも鉱害賠償の対象としている。このような鉱害は,民法上は不法行為であるが,その賠償について鉱業法は,1939年以来,鉱業権者の無過失責任を定めている。これは,それまでに筑豊地方で無過失賠償の慣行が確立していたことをうけているともいわれ,また戦争遂行のためのエネルギー確保を容易にするためともいわれる。鉱業法はまた,陥没農地の復旧などの原状回復の救済方法を定めていて,一般の不法行為の救済の特例となっている。国内の石炭鉱業がほぼ消滅した現在でも,筑豊地方にはなおも多大の鉱害が残ったままであるが,すでに鉱業権者が消滅してしまった部分については,国の手で復旧が続けられている。このほか,鉱業法は鉱害賠償をめぐる紛争処理の特別制度をおいたが,このうち,鉱害調停は,民事調停法にとり入れられた。また石炭鉱害賠償については,別に裁定制度が設けられ,現在では大半の事件が裁定制度で処理されている。
公害
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百科事典マイペディア 「鉱害」の意味・わかりやすい解説

鉱害【こうがい】

鉱山の採掘・製錬作業などの廃棄物によって鉱山外に生ずる被害。煙害や,鉱山廃水,坑内水などで河川や海の水質が汚染されることによる人畜,水田,水産資源などの被害(鉱毒),採掘による地表陥落など。また石油,天然ガス採取による地盤沈下なども含まれる。日本ではとくに,明治時代から大正時代にかけて足尾(足尾鉱毒事件),別子,四阪(しさか)島,神岡,小坂,日立の鉱山で亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を中心とする煙害と廃水による鉱毒が人体や動物,農作物,樹木などに大きな被害を与えた。→公害
→関連項目鉱山保安

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世界大百科事典(旧版)内の鉱害の言及

【鉱業】より

…また汚染物質が重金属などの蓄積性をもつものの場合には,土壌汚染が問題となる。かつての日本では,銅山業,石炭業などを中心に製錬過程からの公害が大きな問題となり,とくに鉱害と呼ばれたこともあるが,今日では製錬過程での大気汚染が最大の問題となっている。鉱石は一般に硫黄分を含むため,製錬過程では多量の亜硫酸ガスが発生し,硫酸製造および排煙脱硫が行われない場合には高濃度の大気汚染が生ずる。…

【鉱山】より

…またいくつかの鉱山の鉱石を集めて処理する中央選鉱工場といったものもある。
[鉱害]
 鉱山の活動は,地下の土石を採掘し,その中の有用成分を採取することであるから,必然的に自然環境の破壊を伴う。したがって,鉱山の開発に際しては,その点に十分な配慮がなされなければならない。…

※「鉱害」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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