尾去沢鉱山(読み)おさりざわこうざん

精選版 日本国語大辞典 「尾去沢鉱山」の意味・読み・例文・類語

おさりざわ‐こうざん をさりざはクヮウザン【尾去沢鉱山】

秋田県鹿角市にあった鉱山。慶長年間(一五九六‐一六一五)金が発見され、寛文六年(一六六六)以後は銅山として栄えた。江戸時代南部藩の直営。銅、硫化鉄、鉛、亜鉛を産出。昭和五三年(一九七八)閉山。

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デジタル大辞泉 「尾去沢鉱山」の意味・読み・例文・類語

おさりざわ‐こうざん〔をさりざはクワウザン〕【尾去沢鉱山】

尾去沢にあった鉱山。江戸時代には南部藩が直営で採掘し、亜鉛硫化鉄などを産出した。昭和53年(1978)閉山。

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日本歴史地名大系 「尾去沢鉱山」の解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

[現在地名]鹿角市尾去沢

西道口さいどうぐちから西方に延びる山道沿いにある。周辺は標高二〇〇―三〇〇メートルの山地で、あか沢・しも沢・三ッ矢みつや沢・かに沢などの沢がある。寛政(一七八九―一八〇一)頃の「邦内郷村志」尾去沢村の項に

<資料は省略されています>

とあり、大銅山である。

〔産銅〕

寛文六年(一六六六)山師長尾重左衛門が田郡たごおり沢に銅山を見立てたのが始まりとされるが、尾去沢内の夏山なつやま銅山は寛文三年の発見という。天和元年(一六八一)河内屋留兵衛が熊谷治兵衛を金主として稼行を請け負い、貞享三年(一六八六)からは治兵衛一人の請負となった。その時の銅役は一〇分の一で、床役金は一ヵ年一丁につき二〇両あて、稼行の山は尾去沢・田郡・鹿沢しかさわ赤沢あかさわの四山である。元禄八年(一六九五)、九年頃から宝永八年(一七一一)まで阿部小平治が請け負い、尾去沢・田郡山・獅子内ししない・赤沢を合わせて獅子内銅山とよんでいる。

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改訂新版 世界大百科事典 「尾去沢鉱山」の意味・わかりやすい解説

尾去沢鉱山 (おさりざわこうざん)

秋田県鹿角市尾去沢にあった鉱山。鉱山付近の地質は,新第三系中新統の凝灰岩,泥岩とこれを貫くプロピライト,流紋岩,石英安山岩から成り,その2km×3kmの範囲に銅,鉛,亜鉛,金,銀等の多種類の金属を含む数百条の割れ目充てん鉱床が知られている。
執筆者:

口碑によると8世紀初めの和銅年間の発見と伝えられているが確証はない。記録上銅鉱の採掘が始まるのは,1666年(寛文6)山師長尾重左衛門が田郡沢,赤沢で銅鉱を発見して以降で,86年(貞享3)に盛岡商人熊谷治兵衛単独の請負稼業となってから急速に開発が進んだ。尾去沢鉱山の経営は1765年(明和2)に南部藩の直営となった。産銅は御用銅として幕府に買い上げられ,大坂に運ばれ輸出に向けられた(大坂廻銅)。藩営時代の産銅高は総計約4万t,年平均約380tにのぼり,一時は別子,阿仁などに次ぐ重要鉱山となるが,経営は赤字続きであった。明治維新後,尾去沢鉱山の経営は幕末に藩から請け負っていた鍵屋村井茂兵衛が継続するが,村井は藩が借り入れた外債の返済責任を不当にも負わされ,1872年(明治5)鉱山を大蔵省に没収された。大蔵省は村井の負債額と同額で同山を政商岡田平蔵に払い下げた。この払下げには当時の大蔵大輔井上馨が深くかかわっているとして,司法卿江藤新平が調査を開始したが,江藤が下野,佐賀の乱で死刑になったため真相は解明されずに終わった(尾去沢疑獄事件)。尾去沢鉱山は87年三菱の幹部長谷川芳之助に譲渡され,89年岩崎弥太郎の手に帰した。以後,三菱財閥の中心的鉱山として発展し,足尾,別子,小坂,日立に次いで産銅第5位を誇った。準戦時体制下の1936年11月安全性を無視した増産が原因で高さ60mの巨大な鉱滓ダムが決壊し,死者362人,家屋倒壊400棟の大惨事を引き起こし,同年12月にも再び決壊した(尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事件)。第2次大戦後最盛期の58年ころには7000tの銅を生産したが,60年代になって鉱況が悪化し,66年3月製錬中止,72年4月三菱金属鉱業(現,三菱マテリアル)の全額出資子会社として分離独立し,尾去沢鉱山株式会社となるが,78年5月閉山した。現在も坑内から湧出してくる銅,カドミウムなどを含む強酸性の排出水の処理を行っている。また82年4月から同社は,県,市などとともに第三セクター方式による鉱山観光事業(〈マインランド尾去沢〉)に乗り出したが,2006年三菱マテリアル系のゴールデン佐渡に買収された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾去沢鉱山」の意味・わかりやすい解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県北東部、鹿角市(かづのし)にある鉱山。江戸時代には盛岡藩南部(なんぶ)氏最大の銅山であった。口碑によると、和銅(わどう)年間(708~715)の発見と伝えられるが確かではない。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に白根(しらね)、槇山(まきやま)などで金が採掘されたが、まもなく衰え銅へ移った。銅が最初に発見されたのは1666年(寛文6)と伝えられる。その後、尾去沢地域の田郡(たごおり)、鹿沢(しかさわ)、赤沢などで稼行した。最初は藩から請け負った盛岡商人の手によって採掘されたが、1765年(明和2)以来明治に至るまで藩の直営となった。1771年の産銅額は約75万斤(約450トン)という。粗銅は野辺地港(のへじこう)へ運ばれ、西廻(まわ)り、東廻りで大坂へ回送された。明治になって村井茂兵衛が経営したが、旧盛岡藩の外国負債の代償として大蔵省が没収、岡田平蔵が払下げを受け、1889年(明治22)以来岩崎家(1893年三菱合資会社(みつびしごうしがいしゃ))の経営になった。1972年(昭和47)尾去沢鉱山に経営移管し、1978年鉱量の枯渇によって閉山した。その後は観光施設として公開されている。

 鉱山は南北4キロメートル、東西2.5キロメートルに及び、地質は完新世沖積世)中期で、獅子沢(ししざわ)層とよばれる硬質泥岩中に鉱脈がもっとも発達していた。銅のほか、金、鉛、亜鉛、硫化鉄、マンガンなどを産した。

 なお、1936年11月、精錬所の硫化泥沈殿貯水池のダムが決壊して下流の坑夫長屋が埋没し、死者362人を出す大惨事を起こし、さらに12月にも再度決壊し12人の死者を出した。

[宮崎禮次郎]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「尾去沢鉱山」の解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県鹿角(かづの)市尾去沢にあった銅山。阿仁(あに)・別子(べっし)とともに近世の御用三銅山の一つ。尾去沢地内で西道(さいどう)・五十枚などの金山が衰退したのち1666年(寛文6)銅鉱が発見され,田郡・元山・赤沢などの銅山となり,17世紀末に一括された。江戸・大坂の商人による請山(うけやま)稼行が続いたが,1764~1868年(明和元~明治元)まで盛岡藩の直営で,天保と慶応期には産銅高100万斤となった。明治初期に経営者が交代し,87年(明治20)三菱が入手,近代化の進展とともに三菱財閥の中心的鉱山として生産も上昇した。1936年(昭和11)安全性無視の増産により鉱滓ダム決壊の惨事がおきた。78年閉山。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾去沢鉱山」の意味・わかりやすい解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県鹿角郡尾去沢町 (現鹿角市) にあった銅山。和銅年間 (708~715) に発見されたと伝えられ,初めは金山であったが寛文 (1661~73) 頃から金が枯渇し銅山となった。明和2 (1765) 年に南部藩直営となり,1889年に岩崎家に移って以後三菱系が経営。かつては月産粗鉱量6万t以上も生産していたが,1978年5月鉱量が尽きて閉山した。母岩は石英粗面岩,頁岩,凝灰岩,変朽安山岩などで,含金銅鉱石をシュリンケージ採掘法などで採掘していた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「尾去沢鉱山」の解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県北東部,鹿角 (かづの) 郡尾去沢町にある鉱山
奈良時代に開発されたらしいが,慶長年間(1596〜1615)からおおむね南部藩直営。江戸前期は金鉱として隆盛,後期は銅山として発展した。1887年岩崎氏の経営となり,のち三菱金属鉱業が経営し,1978年閉山した。

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世界大百科事典(旧版)内の尾去沢鉱山の言及

【野辺地[町]】より

…野辺地湊の繁栄は船宿制と廻船問屋仲間ができる安永期(1772‐81)以降である。上北郡産出の大豆,長崎俵物(たわらもの)の煎海鼠(いりこ),〆粕(しめかす),コンブなどの移出でにぎわったが,繁栄したのは尾去沢鉱山(現,秋田県鹿角市)産出の御用銅が大坂に積み出されたことによる。同鉱山の銅の積出しは1677年(延宝5)に始まるが,御用銅の移出開始は1716年(享保1)で,1801年(享和1)の野辺地湊積出しは57万9300斤であった。…

※「尾去沢鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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