鈴尾城跡(読み)すずのおじようあと

日本歴史地名大系 「鈴尾城跡」の解説

鈴尾城跡
すずのおじようあと

[現在地名]吉田町福原

北流する可愛えの川に東から張出した丘陵上に位置し、福原ふくばら城ともいう。毛利氏重臣福原氏累代の居城で、「高田郡村々覚書」に「高一丁半、横二丁、城主福原貞俊殿其子広俊殿と申候知行、高壱万八千石、貞俊殿当所にて死去、広俊殿は輝元公御供にて長門へ御越しの由」とある。現在壇一二を残すが、「辛未紀行」(山口県文書館蔵)に「本丸三畝九歩、本丸之下南の郭十九歩、西の郭二十一歩、北の郭六畝二十歩、東の郭一畝十八歩、東下の郭十二歩、北下之丸一畝十八歩、台所屋敷五畝十二歩、さがりの丸六畝二十歩、井の段八歩、はごの丸二十四歩」とあり、いまの段跡に井戸が残るほか、土居どいの壇とよばれる所に毛利元就誕生地の碑が立つ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報