金浜村(読み)かねはまむら

日本歴史地名大系 「金浜村」の解説

金浜村
かねはまむら

[現在地名]宮古市金浜

宮古湾の奥、津軽石つがるいし川河口にある。東は海に臨み、北東高浜たかはま村。浜街道が通り、現高浜小学校校庭の南の小山に館跡がある。慶長元年(一五九六)九月一五日の南部信直知行宛行状(宝翰類聚)によれば、船越助五郎の知行地として磯鶏そけいなどとともに給付されている。東奥古伝(県立図書館蔵)によれば助五郎は小笠原氏で、甲州浪人であったが、船越ふなこし(現下閉伊郡山田町)に居を構え船越を氏とし、のちに家士三〇〇人を引連れ金浜に移り、金浜館に住したという。元禄十郡郷帳では当村は磯鶏村に入るとある。享保三年(一七一八)の検地名寄帳(金沢文書)によれば百姓数二五(江山寺・大善院持畑を含む)、高計三二石余、うち田方一一石余・畑方二〇石余。安永五年(一七七六)の宮古代官所支配高帳(小笠原文書)には高三九石余、船越守左衛門給地とある。

金浜村
かねはまむら

[現在地名]八戸市金浜

八戸城下の東南の海岸部に位置する。西は角柄折つのがらおり(現三戸郡階上町)、南は道仏どうぶつ村・赤保内あかぼない(現階上町)、北はさめ村に接する。藩政当初は盛岡藩に属し、元和三年(一六一七)の南部利直下知状(南部家文書)に「金浜」とあり、同年根城南部氏の給地に編入されている。同四年の知行目録には「九拾七石八斗九升八合 金浜」とある。

金浜村
かなはまむら

[現在地名]青森市金浜かねはま

あら川を挟んで高田たかだ村の東にある。「四方田園ありて土地稍良く、挙村耕耘を業とす」(新撰陸奥国誌)とあるように、この付近では比較的生産力が高い。寛文四年(一六六四)の高辻帳に高二七六・二石とある。貞享四年(一六八七)検地帳では、田方六三町六反六畝二七歩、畑方一八町三反八畝四歩、田畑屋敷合せて八二町五畝一歩、村高六二〇・五九一石とある。うち上田一七町九反余・中田一九町一反余で、下田下々田を合せた二六町五反余よりも一〇町多い。ほかに「末々田畑可致開発場所」として三町七反四畝一一歩が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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