野波浦(読み)のなみうら

日本歴史地名大系 「野波浦」の解説

野波浦
のなみうら

[現在地名]島根町野波

東は日本海に面し、また野井子谷ねごだん山などを境に野井のい浦などにも接する。南は芦谷あしだん山・おく山を境に本庄ほんじよう(現松江市)など。北は平田ひらた山の山頂を境に多古たこ浦。当浦は本郷と、北に子波こなみ湾のある子波、東に瀬崎せざき湾をもつ瀬崎の三地区に分れている。千酌谷ちくみたに(現千酌路川)・野波川(現里路川)が西流し野波湾に注ぐ。子波川は平田山付近を水源とし子波湾に注ぐ。瀬崎の沖合約五町ほどの海上にはつき島がある。「出雲風土記」に記載される島根郡野浪ぬなみ浜は当浦に比定され、瀬埼せざき・瀬埼戍は瀬崎に、野浪川は千酌路ちくみじ川に比定される。また岩波本「出雲国風土記」に記載される「北門の農波の国」は国引きの際、余った地域とされるが、農波は当地のことか。「舟上記」によれば、元弘の乱で隠岐島に流された後醍醐天皇は元弘三年(一三三三)閏二月二四日同島を脱出、翌二五日島根郡野波浦に着岸したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報