里美村(読み)さとよしむら

日本歴史地名大系 「里美村」の解説

里美村
さとよしむら

[現在地名]佐世保市里美町・川谷町かわたにちよう倉町くらちよう高花町たかはなちよう下宇戸町しもうどちよう

現市域の北東部にあり、北東部に八天はつてん岳、南東部に隠居いんきよ岳がある。江戸時代は平戸藩領で、享保三年(一七一八)柚木ゆのき村のうち潜木くぐるぎ免・戸平田とへだ免を割いて郷美さとよし谷と合せ里美村が成立したとされ、郷美に里美の表記を当てたという。天保郷帳に記載がない。旧高旧領取調帳には村名がみえ、高六八四石余。

里美村
さとみむら

面積:一二〇・三六平方キロ

茨城県の最北部に位置し、北は福島県東白川ひがししらかわ矢祭やまつり町とはなわ町に、東は高萩市・多賀郡十王町に、西は大子だいご町・水府すいふ村に、南は日立市に接する。東の阿武隈高地南部の多賀山地と西の久慈山地に挟まれ、その間を流れる久慈川支流里川の谷に南北に細長く開けた山村。東西九・七キロ、南北二三・六キロ。里川の流れに並行して国道三四九号が村を縦貫し、集落もこれに沿って谷底平野に発達する。しかし南部の小菅こすげ付近より下流になると谷幅が狭く、集落は河岸段丘上や山腹緩斜面に発達。また東側支谷の小平坦地の南向き斜面にも小集落が散在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報