郷ノ口村(読み)ごうのくちむら

日本歴史地名大系 「郷ノ口村」の解説

郷ノ口村
ごうのくちむら

[現在地名]宇治田原町大字郷之口ごうのくち

田原盆地の北西宇治青谷あおだに(現城陽市)方面からも盆地入口にあたり、交通の要衝に位置する。近世を通じては上町かみまち村・下町村と二分されて支配されたが、明治五年(一八七二)合併して郷ノ口村となった。

古代には奈良と近江を結ぶ田原道の田原盆地入口の地として重要視されたと思われる。また都が京都に移ってからは宇治を経て信楽しがらき(現滋賀県甲賀郡信楽町)方面に抜ける信楽道の要衝ともなった。戦国時代、織田信長はこの地を都と東国を結ぶ要地として注目、山口甚介秀康に命じて城を築かせ、城下町とした。

宇治田原の地は元和九年(一六二三)禁裏新御料となり、田原郷一五ヵ村とよばれたが、享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳には、上町村・下町村を一所として禁裏新御料三〇〇・〇四八石を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報