郡家中村(読み)ぐんげなかむら

日本歴史地名大系 「郡家中村」の解説

郡家中村
ぐんげなかむら

[現在地名]一宮町中村なかむら

多賀たが村の南東にあり、中央の平野部を郡家川が北へ流れる。北西から南東へ西浦にしうら東浦を結ぶ道が通る。西部は緩やかな傾斜の丘陵地帯となっている。古くは多賀村のうちであったともいわれる(味地草)正保国絵図に村名がみえ、高一四二石余。天保郷帳では高二九〇石余。反別戸数取調書によると反別二三町一反余、高三八五石余はすべて蔵入地。家数五六・人数二五八。近世後期当村庄屋広田勘右衛門が郡家組の組頭庄屋を勤めて組下八ヵ村を統括し、天保期(一八三〇―四四)に藩から支配外・無役人の身居りを受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報