道地村(読み)どうじむら

日本歴史地名大系 「道地村」の解説

道地村
どうじむら

[現在地名]鶴岡市茨新田ばらしんでん

浜街道沿いの砂丘東麓にあり、南西西茅原にしちわら村。慶長一六年(一六一一)検地帳(道地区有文書)によれば田畑四千七一二束刈・米四〇石余、屋敷五・家数七。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ高六九石余。寛永元年庄内高辻帳では一五六石余。西砂丘からの飛砂の害がはなはだしいため、寛永一〇年(一六三三)頃には村民は東方の茨新田村に移転したという(西郷村史)

道地村
どうちむら

[現在地名]騎西町道地

騎西領用水左岸の自然堤防および流路跡に立地する。騎西町場きさいまちば北西外田そとた村の東にある。道智とも書き、野与党の道智氏の本拠といわれる。道智氏は「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)一一月七日条に道智次郎、承久三年(一二二一)六月一八日条に三郎太郎、野与党系図(諸家系図纂)頼意(道智法華房)とみえ、入洛した源頼朝に付き随っており、幕府御家人であった。承久の乱に際して、道智三郎太郎は六月一四日の宇治橋合戦で討死している(「吾妻鏡」同月一八日条)

道地村
どうじむら

[現在地名]雄物川町道地

北流する雄物川の東岸、沖積平地の残丘上に位置する。北は柏木かしわぎ村、南は西野にしの村に接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に新田として三五二石とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に元和五年(一六一九)の羽立村とある。「雪の出羽路」に「大日向氏は梅津家の給人にして、大日向久右衛門・大日向荘右衛門といへり、此両家の祖は此村の水田を新墾、いさをありし家なりといへり」とある。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳では当高三七九石余で、うち蔵分一四石余、給分三六五石余。

道地村
どうちむら

[現在地名]田子町石亀いしがめ 道地

熊原くまはら川の上流左岸に位置し、東は佐羽内さばない村、西は石亀村、北は相米そうまい村に接する。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえ、高一二・二九二石とある。七ヵ年平均の免は二ツ三分八厘三毛。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には給分五四・一石余とあり、家数は五で、馬一二疋を飼養。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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