遍照光寺跡(読み)へんじようこうじあと

日本歴史地名大系 「遍照光寺跡」の解説

遍照光寺跡
へんじようこうじあと

[現在地名]藤枝市花倉

花倉はなぐら川右岸にあった四宗兼学の律宗寺院で、現在跡地には曹洞宗へんしよう寺が建つ。今川範氏の建立とされる(「駿河記」など)。それ以前は南方山中にあったともいわれ、元ヘンジョウジダイラという小字名が残る。戦国期の史料にみえる「花蔵」は地名として用いられておらず、その多くが葉梨はなし郷内にあった華蔵山(花蔵山とも)遍照光寺を意味している。

文明一三年(一四八一)に記された久能寺涅槃画幅文によると、涅槃画を表装した表具師の能全は兵乱を避けるため鎌倉建長寺を離れて「駿州花蔵居住」となり、久能寺(現静岡市)での披露の準備には「遍照光寺」から一〇余名が加わることとなったという。永正三年(一五〇六)一月二八日には遍照光寺頼忠が末寺慶寿けいじゆ(現島田市)寺領を安堵しているが(「頼忠判物」慶寿寺文書)、頼忠(明江珠顕)今川義忠の弟といわれ、のちに本寺である泉涌せんにゆう(現京都市東山区)の五五世長老となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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