遊子谷村(読み)ゆすだにむら

日本歴史地名大系 「遊子谷村」の解説

遊子谷村
ゆすだにむら

[現在地名]城川町遊子谷

黒瀬くろせ川支流の野井のい川に沿う山村。東は上流野井川のいのかわ村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「遊子谷村 柴山・茅山・小川有」と記される。「宇和旧記」の遊子谷村の項には、「初め檮谷ゆすだにとかく」とある。

太閤検地石高は、一四三石三斗二升、耕地面積の比率は田が四五パーセント、畑が五五パーセントであった。寛文検地では石高が三・一倍に増え、田一〇パーセント、畑九〇パーセントで、近世初頭に山畑の開発が急速に進んだ。「墅截」による村柄は「下」、耕地は田が「中」、畑が「上」、水掛りが「中」である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報