追分茶屋(読み)おいわけちやや

日本歴史地名大系 「追分茶屋」の解説

追分茶屋
おいわけちやや

[現在地名]富山市追分茶屋

呉羽山くれはやま丘陵の西側緩斜面に位置。婦負郡に属し、北陸街道(巡見使道)を東進すると中茶屋なかちやや峠茶屋とうげちやや、西は吉作よしづくり村。正保四年(一六四七)の「越中道記」によると、江戸時代初期の北陸街道(巡見使道)、通称中田なかだ水戸田みとだ道と、のちの高岡町経由の北陸街道を結ぶ通称小杉こすぎ道の分岐点に当たった。呉羽山の峠にさしかかる街道沿いに茶屋が立並び、街道の追分に位置したことから地名が生れた。高台の神明社前に建つ石の道標には東側面に「立山道」、南側面に「小杉道」、西側面に「城端水戸田道」と刻まれている。地蔵堂の享保二年(一七一七)の石仏は、台座裏に「右ハ金沢道、左ハミと田道」と刻まれたみちしるべ地蔵である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報