近内村(読み)ちかないむら

日本歴史地名大系 「近内村」の解説

近内村
ちかないむら

[現在地名]宮古市近内

山口やまぐち村の西、閉伊へい川の支流近内川流域に位置する。館山たてやまとよばれる台地に近内氏の館跡がある。一戸氏系千徳氏の勢力圏内にあって、東奥古伝(県立図書館蔵)には地頭近内氏は「一戸同家と見ゆ」とあり、「参考諸家系図」近内氏の譜には「閉伊十郎源行光後胤、一本一戸摂津守義実ノ末流トス」とあり、盛岡藩二代藩主南部利直の時に当地に七〇石を受け、閉伊四八郷の総奉行を勤めたという。寛文一二年(一六七二)には近内長左衛門に算昆平さんこんだいら野谷地三〇石が、舟越弥平左衛門に同五〇石が下付されている(雑書)。近内氏はゆえあって禄を没収され、同氏知行分は蔵入地に編入されるが、寛政四年(一七九二)になって、蔵入高二六石余のうち一〇石が千徳せんとく村住居宮古給人大森与市に給付されることになり、惣百姓が連署してこれに反対、再三の嘆願でようやく蔵入を勝ちとった(木村文書)

近内村
ちかうちむら

[現在地名]五條市近内町

東久留野ひがしくるの村と住川すがわ村の中間の緩傾斜地に立地。奈良盆地に近接する古墳群集地で、北宇智きたうち文化圏を形成。古代には近宇智ちかうち庄があり、中世には源頼親の裔と伝える近内氏があり、居伝いで城に拠った。天城てんじよう(廃絶)境内五輪塔には「沙門良恵 応永(ママ)十一月日」の刻銘がある。

慶長郷帳では「井手近内」とみえ、村高八三二・一一石

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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