踏入村(読み)ふみいりむら

日本歴史地名大系 「踏入村」の解説

踏入村
ふみいりむら

[現在地名]豊科町大字南穂高みなみほたか 踏入

さい川の川筋である中曾根なかぞね川の自然堤防上に発達。初見は文禄年代(一五九二―九六)の筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附で「文入村」とあって、村高五一石余の小村である。本郷ほんごう恵光院えこういん下踏入しもふみいりの三つの集落からなる。恵光院は明暦二年(一六五六)松本城下の恵光院領として新切されたものであり、下踏入はもと下花見しもけみともいい、花見地帯に正保年代(一六四四―四八)頃開発された村落である。本郷中曾根川の巾上にあって、六〇間四方の方格地割が数個みられ、近世以前の開発によるものと考えられる。

踏入は別名針俣はりまたといわれ、初見は明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)で「御柱一本重柳・針俣二ケ郷所役」とある。天正六年(一五七八)下諏訪春秋両宮御造宮帳に「一春宮瑞籬八間役、矢原之庄内田多井・堀金・等々力・重柳・狐島・針俣」とあることから、針俣は狐島きつねじまに隣接した青木花見あおけみ(現穂高町)にも推考されるが、明応一〇年の穂高神社の三宮穂高社御造宮定日記の「賀治屋毛見郷」が青木花見に推定されるので、踏入の前身とするのが妥当

踏入村
ふみいりむら

[現在地名]上田市踏入二丁目

上田城の南東にあたり、北国脇往還沿いの村。東は国分寺こくぶんじ村、西と北は常田ときだ村、南はほり村と境をなす。

この辺り鎌倉時代は、常田庄に含まれていた。踏入の初見は諏訪御符礼之古書の康正三年(一四五七)の花会に「踏入、代国、御符之礼一貫八百文、頭役八貫文、馬一疋」とある。踏入の名称は、既に康正年間に諏訪社上社の頭役をあてられているのをはじめ、寛正四年(一四六三)、文明一七年(一四八五)などにも花会の頭役をあてられているなど、天正一一年(一五八三)の上田築城以前より呼称されていた地名で、常田庄への入口を指した地名である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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