走資派(読み)そうしは(英語表記)zǒu zī pài

改訂新版 世界大百科事典 「走資派」の意味・わかりやすい解説

走資派 (そうしは)
zǒu zī pài

中国語の〈走資本主義道路的当権派(資本主義の道を歩む実権派)〉の略語。1965年,毛沢東が〈農村社会主義運動で当面提起されているいくつかの問題について〉と題する中共中央政治局の文献で初めてこのことばを用いた。当時の中共は,このような走資派=修正主義特権官僚によって修正主義に変色させられる一歩手前にある,というのが毛沢東の認識であった。やがて始まった文化大革命のなかで,国家主席劉少奇をはじめ多くの官僚がこのレッテルをはられ,打倒された。しかし,文革終息後は,こうした規定は当時の国内(=党内)情勢に対する極〈左〉的な分析から生まれたもので,その主要な責任は毛沢東にある,とされている。
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旺文社世界史事典 三訂版 「走資派」の解説

走資派
そうしは

実権派

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世界大百科事典(旧版)内の走資派の言及

【文化大革命】より

…この背景には,毛沢東の過渡期階級闘争理論があった。新中国成立後,毛沢東は,みずからの指導する社会主義社会を,階級闘争の終始存在する過渡期社会ととらえる理論に傾斜していったが,60年代中期にいたって,党は〈資本主義の道を歩む実権派〉によって修正主義に変質させられる前夜にあるとの認識に達し,これら〈走資派〉を一掃し,修正主義化を防止する目的をもって,プロレタリア文化大革命(文革)を発動した。
[第1期]
 1965年11月,毛沢東の直接指導下に,姚文元(ようぶんげん)の論文〈《海瑞罷官(かいずいひかん)》を評す〉が発表されたことで,実権派批判が始まり,文革の火がつけられた。…

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