走水(読み)はしりみず

日本大百科全書(ニッポニカ) 「走水」の意味・わかりやすい解説

走水
はしりみず

神奈川県横須賀市(よこすかし)北東端、観音崎(かんのんざき)の北西方にある一地区。漁港町で、防衛大学校の海上訓練場があり、海浜は夏季海水浴客でにぎわう。歴史上三浦半島でもっとも古く現れた地名で、ここの走水神社わきから豊富な地下水が湧(わ)き出るのが地名の起源と伝えられる。走水神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)と妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)を祀(まつ)る。『古事記』『日本書紀』にみえる、日本武尊東征の際、弟橘媛が、荒れた海を鎮めるため、この地で入水(じゅすい)した「走水入(いり)」の故事による。

[浅香幸雄]

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普及版 字通 「走水」の読み・字形・画数・意味

【走水】そうすい

流水

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世界大百科事典(旧版)内の走水の言及

【相模国(相摸国)】より

…大化改新前には国内に師長(しなが)国造,相武国造,鎌倉別(わけ)が存在しており,これら三つの政治圏は,相模国内のそれぞれ西部地域(酒匂川流域),中央地域(相模川流域),東部地域(鎌倉,三浦郡辺)を基盤としていたと推測される。伝承としては記紀の日本武尊東征説話に,走水の渡海に際して弟橘媛が入水した話や,日本武尊が足柄坂で弟橘媛をしのんで〈吾婕(あづま)はや〉と三嘆したという話などに〈相武〉の名が見える。しかし,相模という国名と郡の存在を示す文献上の初見は,675年(天武4)10月20日相模国から高倉(高座)郡の女人が三つ子を生んだことを言上したと記す《日本書紀》である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」