賀古新庄(読み)かこしんしよう

日本歴史地名大系 「賀古新庄」の解説

賀古新庄
かこしんしよう

賀古庄から分離したものと推定されるが庄域は未詳。室町期には万里小路時房家領である。観応二年(一三五一)八月二八日、高倉範仲は観応の擾乱の際、太山たいさん(現神戸市西区)城郭を警固した時、寺僧が祈祷や合戦をしたことに対して、賀古新庄などの地頭職内年貢米三〇石などを同寺へ寄進した。ただし当庄は格別の恩賞があった者に対して当年限り与えるとしている(「藤原範仲年貢米寄進状」太山寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報