貫郡(読み)ひえぬきぐん

日本歴史地名大系 「貫郡」の解説

貫郡
ひえぬきぐん

面積:三六四・四八平方キロ
大迫おおはさま町・石鳥谷いしどりや

県中央部に位置し、東西に細長く二町が続く。大迫町東端は北上高地中の早池峰はやちね(一九一三・六メートル)石鳥谷町西端は奥羽山脈の標高八〇〇―九〇〇メートルの山山である。石鳥谷町中央部東寄りを北上川が南流し、その西側を国道四号・JR東北本線が通り、交通の大動脈となっている。早池峰山を源とするたけ川が小又おまた川・また川・八木巻やぎまき川・中居なかい川などを集めて大迫町内で稗貫川となり、石鳥谷町で北上川に合流する。北上川右岸では薬師堂やくしどう川・葛丸くずまる川・耳取みみとり川が東流して北上川に合流する。北は紫波しわ郡紫波町・盛岡市、東は下閉伊しもへい川井かわい村・遠野市、南は上閉伊郡宮守みやもり村・和賀郡東和とうわ町・花巻市、西は岩手郡雫石しずくいし町に接する。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡・遺物はまだ発見されていない。縄文時代草創期・早期遺跡も現在のところ発見されていないが、石鳥谷町大曲おおまがり遺跡から早期土器片が出土している。前期の遺跡として大迫町アバクチ洞穴遺跡と天神てんじんおか遺跡があり、前者からはクマやシカの骨が、後者からは多数の土器とともに前・中期の一六〇基のフラスコピットが発見されている。中期の遺跡は石鳥谷町高畑たかはた遺跡・大地渡おおちわたり遺跡・田屋たや遺跡があり、竪穴住居跡が数棟から十数棟検出され、高畑遺跡からは異形土製品が出土している。大迫町観音堂かんのんどう遺跡は舌状台地一帯に広がり、二〇棟ほどの竪穴住居跡が調査された。形状はすべて円形で、いずれも複式炉を有している。フラスコピットも六〇基ほど検出され、ドングリクルミの炭化物が発見された。後期になると稗貫川水系の河岸段丘に遺跡がみられ、大迫町立石たていし遺跡・大林おおばやし遺跡・もち遺跡・大沢おおさわ遺跡などがある。立石遺跡は岳川右岸の低位段丘上にあり、配石遺構群を中心に一〇〇点を超える土器や二一八点に及ぶ土偶が発見された。イノシシ形土偶や人間の耳・鼻の土製品なども発見されており、祭祀的な性格が強いと考えられる。晩期の遺跡として石鳥谷町安堵屋敷あんどやしき遺跡と大迫町小田こだ遺跡が注目される。安堵屋敷遺跡は添市そいち川河岸段丘上にあり、数多くの完形土器・土製品を出土した。小田遺跡からは遺構は検出されなかったが、一〇〇個余の土器のほか土偶一三〇点余、石棒・石器類一八三点が出土し、祭祀遺跡と考えられる。また安堵屋敷遺跡からミミズク形土笛、小田遺跡から亀形土笛が出土し、当時の音楽を考えるうえでも興味深い。

弥生時代のものは判然とした遺構をもつ遺跡は発見されていないが、石鳥谷町の大明神だいみようじん遺跡から深鉢・壺・蓋などの土器、大瀬川おおせがわC遺跡から土器片が出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報