貝吹村(読み)かいふくむら

日本歴史地名大系 「貝吹村」の解説

貝吹村
かいふくむら

[現在地名]西尾市貝吹町

市の東端に位置し、万灯まんとう山と広田こうた川に挟まれた地に開けた集落。貝福村とも記す。村名の由来について「長円寺記」に「邑を貝吹と謂ふは、往年浅井村(天)台宗僧千数有り、須美村亦(天)台宗千坊有り、両地緇侶議論を倣すに当たり、法貝を吹き、互いに相告報す」とあるによるといわれる。正顕しようけん寺は文明二年(一四七〇)創建で、一条関白兼良の子尚兼が応仁の乱を避けてこの地に一宇を営み、寺号を尚兼寺とよんでいるところから、この地は比較的早く開けた地と思われる(三和村誌)

中島なかじま(現岡崎市)とともに、大永(一五二一―二八)以前は中島城主由良家数代の領するところであったが、弘治元年(一五五五)岡崎城の松平氏に奪取され、深溝ふこうず(現額田郡幸田町)城主松平好景の所領となる。

貝吹村
かいふきむら

[現在地名]門前町貝吹

荒屋あらやはら両村の北、はつヶ川支流貝吹川源流域の山地に立地。正保郷帳では高七一石余、田方四町一反余・畑方六反余、新田高三九石余、田方二町六反余。承応三年(一六五四)の村御印の高六〇石余、免三ツ六歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高六六石、免三ツ一歩、小物成は山役一〇二匁・漆役二匁・炭竈役二六匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android