豊沢団平(2世)(読み)とよざわだんぺい[にせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊沢団平(2世)」の意味・わかりやすい解説

豊沢団平(2世)
とよざわだんぺい[にせい]

[生]文政11(1828).播磨
[没]1898.4.1. 大阪
義太夫節三味線方。本名加古仁兵衛。3世豊沢広助の門弟。若手時代,名人3世竹本長門太夫の相 (あい) を弾き,その没後,6世竹本染太夫,5世竹本春太夫,竹本摂津大掾ら,文楽名手,紋下を弾く。 1884年彦六座に入座,3世竹本大隅太夫の相三味線となり,厳格な指導により,大隅太夫の写実的芸風を大成させた。 98年稲荷座の舞台で『志渡寺 (しどうじ) 』を弾きつつ倒れ,直後に没。明治時代の三味線の最大の名人。演奏,指導,作曲,演出の各方面に傑出。文楽系に対立する彦六系 (近松座系ともいう) の芸風の祖。代表作曲『壺坂霊験記』『二月堂良弁杉由来』など。

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世界大百科事典(旧版)内の豊沢団平(2世)の言及

【壺坂霊験記】より

…通称《壺坂》。原曲は1875年ごろに書かれた浄瑠璃《観音霊場記》に2世豊沢団平・加古千賀女(ちかじよ)夫妻が補訂・作曲を施し,79年10月に大阪大江橋席で初演されたものだが,その後,改めて団平が作曲をし直した87年2月大阪稲荷彦六座上演のおりのものが,現行曲として定着した。3世竹本大隅太夫と団平の演奏が好評を博し,明治期以降の新作の中では代表的な人気曲となっている。…

【二月堂良弁杉の由来】より

…4段。作曲豊沢団平。作詞加古千賀(団平の妻)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」