豊島郷(読み)てしまごう

日本歴史地名大系 「豊島郷」の解説

豊島郷
てしまごう

和名抄」東急本は「天之万」と訓ずる。天平一五年(七四三)の経師勘籍(正倉院文書)に「摂津国豊島郡手島郷」とあり、豊島郡が奈良時代に手島郡とも記されるのと同様に、豊島郷は手島郷とも書かれたことが知られる。郡と同名の郷であるから郡衙所在地であると考えられるが、郡衙の位置はまだ確認されていない。この豊島郡衙の南に摂津国府を遷したという記事が「日本紀略」天長二年(八二五)四月一〇日条にみえるが、豊島郡衙と豊島郷の位置がそれだけ水陸交通に恵まれた立地条件を備えていたからであろう。

豊島郷
としまごう

豊島郡もしくは豊島庄本郷であったとみられ、郷内清光せいこう寺は平安時代末期以来の在地領主豊島氏の館跡とみてよく、同氏の本拠地であった。室町時代末期の長尾景春の乱によって同氏が滅亡した後は、扇谷上杉氏もしくはその家宰太田氏の所領となったと推測される。家宰太田氏の系譜をひく江戸太田氏は大永四年(一五二四)小田原北条氏に従属して江戸衆に編成され、北条氏所領役帳においては江戸衆太田康資(新六郎)の所領として「豊島」五〇貫二〇〇文がみえている。

豊島郷
としまごう

「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本など諸本とも訓を欠く。摂津国豊島てしま郡豊島郷に天之万(東急本)、安芸国高田たかた郡の同名郷に止之万(東急本)の訓があるのでテシマかトシマであろうが、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条では武蔵国豊島駅をトシマと読んでいる。

豊島郷
としまごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「豊嶋」と記し、東急本は「止之万」と訓を付す。「芸藩通志」は「今戸島村あり」と記し、「日本地理志料」も戸島としま(現高田郡向原町)を遺名とする。「大日本地名辞書」には「今戸島村存す、麻原郷の西に接し、吉田の南一里余、此郷の南山を隔てゝ風速郷あり、亦旧高田郷の地とす」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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