諸川城跡(読み)もろかわじようあと

日本歴史地名大系 「諸川城跡」の解説

諸川城跡
もろかわじようあと

[現在地名]三和町諸川 中町

日光東街道の西に所在。かつては幅一〇メートル・長さ三〇〇メートルの堀があったが、これを埋めて畑にしたといわれる。永享(一四二九―四一)頃に結城氏に属した柑露信濃守が築いたもので、信濃守は結城合戦に際して結城城に籠城して戦死したと伝えられる。のち古河公方足利氏の臣中村氏が城跡に居を構え、天文二三年(一五五四)に小山朝政が古河公方麾下の柳橋やぎはし(現総和町)を攻めた際に、「東国闘戦見聞私記」によれば「柳橋城主豊前守は仁連、諸川、久能、(中略)、矢貝、山田の兵九百余人を城に籠らしめ」とあるがそのなかに中村能登の名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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