柳橋
やなぎばし
東京都台東区(たいとうく)南東端の地区。地名は、神田川(かんだがわ)が隅田(すみだ)川へ流入する落口(おちぐち)に架けられた柳橋に由来する。現在地名は神田川北岸の台東区のみに残るが、対岸の中央区には明治初年以降元柳町の地名があった。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)から船遊びのための船宿が発生し、待合茶屋などの粋(いき)な遊び場、花街へと発展、明治、大正時代へと受け継がれた。関東大震災にあったが復興し、赤坂と並ぶ料亭街として繁栄したが、1960年ごろからの堤防嵩上げなどによる景観の変化もあり、料亭街は消滅した。江戸通り沿いに玩具(がんぐ)、文具などの問屋街が形成されている。
[菊池万雄]
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柳橋【やなぎばし】
東京都台東区南東部,隅田川右岸,神田川北岸の地区。かつては神田川にかかる柳橋の南側もさした。江戸第1の花柳街で,明治以後もにぎわった。現在は料亭街をなし,浅草橋につづく西部地区は玩具(がんぐ),文房具などの問屋街として発展。
→関連項目婦系図|船宿|柳橋新誌
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やなぎ‐ばし【柳橋】
東京都台東区柳橋と中央区東
日本橋との間、神田川が隅田川に合流する
手前に架設された橋。また、その橋の北側
一帯を占める台東区南東端の地名。
江戸時代は
吉原・深川通いの船の
発着所で、船宿が集中し、
芸妓・
酒楼が多かった。
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柳橋
やなぎばし
東京都台東区南東端,隅田川に面する地区。江戸時代からの伝統をもつ料亭街として知られた。江戸通り沿いは,文房具,玩具などの問屋町。
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デジタル大辞泉
「柳橋」の意味・読み・例文・類語
やなぎばし【柳橋】
東京都台東区の地名。東を隅田川、南を神田川が流れ、神田川に柳橋が架かる。江戸時代から花柳街として繁栄。
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やなぎばし【柳橋】
東京都台東区南東部の地名。柳橋1~2丁目からなる。1698年(元禄11)神田川が隅田川に流入する川口に橋が架けられ,川口出口の橋,川口橋と呼ばれていたが,西側に柳を植えた柳原の火除(ひよけ)土手ができてから柳橋と称するようになったという。一帯は両国広小路に隣接する交通の要地として栄え,柳橋の船宿からは吉原へ通う猪牙(ちよき)舟が出船し,また隅田川の涼み舟も往来した。神田川の両岸には料理茶屋が多く,万屋八郎兵衛(万八楼),亀屋清右衛門(亀清),梅川忠兵衛などの店は貸座敷も兼ねており,江戸文人の集会の場でもあった。
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普及版 字通
「柳橋」の読み・字形・画数・意味
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柳橋
やなぎばし
中央区北端、神田川が隅田川に注ぐ河口一帯をさす。地名は神田川最下流の台東区柳橋一丁目と中央区東日本橋二丁目を連絡する柳橋の名に由来する。現在地名としての柳橋は台東区側にあるが、本来中央区側に明治初年以降元柳町があった。ここは大川(隅田川)の舟遊びや、新吉原(現台東区)や向島を結ぶ舟運の中心として賑わい、柳橋の両側には幕末頃料亭・待合茶屋・芸者置屋が立地し、その賑いは成島柳北の「柳橋新誌」によってうかがうことができる。
柳橋
やなぎばし
中央区東日本橋二丁目と台東区柳橋一丁目との間の神田川に架かる橋。元禄一一年(一六九八)神田川の大川(隅田川)出合い近くに架され、下柳原同朋町と浅草下平右衛門町との間を渡した。当初は川口出口橋・川口橋とよばれ、後に柳橋と称されるようになったとされる(日本橋区史)。「武江年表」は元禄六年架橋と記す。橋名由来は柳原堤の末端に位置していたことによる(江戸名所図会)。橋の両岸には船宿が集まり、新吉原(現台東区)や向島へ通う猪牙舟や隅田川舟遊びの船が多く、花街が形成され、明治期に入っても賑わった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典内の柳橋の言及
【芸者】より
…これには弾圧もあったが,江戸末期になると各地で芸者遊びが盛んとなり,辰巳(たつみ)芸者,羽織芸者とも呼ばれた江戸の深川芸者が意気と俠気(きようき)とを認められたのを始め,遊郭に代わる新興歓楽地として活況を呈した。明治以後の東京では深川にかわって柳橋が盛んになり,やがて政・官・財界をあげて,新橋を中心として〈待合政治〉をくり広げたため花柳界は大発展した。芸者屋も組合を作り温習会を催して売名と技芸の向上をはかった結果,国際的に〈ゲイシャ〉の名を広めた。…
【柳橋新誌】より
…3編は文部省から発行を差しとめられ,柳北と依田学海の序だけが伝えられて本文は散逸した。初編は,幕末の新興花街柳橋の風俗を縦横に活写し,そこに風流の真諦を求めようとする青年儒者の気概をこめる。2編は,短編小説ふうの挿話をつらねた構成で,維新後の柳橋を舞台に,薩長の政府高官の無風流を揶揄(やゆ)し,あわせて文明開化の卑俗浅薄な側面を辛辣に風刺しているが,その背後に流れているのは,中年を迎えた遊人の悲傷である。…
※「柳橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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