観音堂筋町(読み)かんのんどうすじまち

日本歴史地名大系 「観音堂筋町」の解説

観音堂筋町
かんのんどうすじまち

[現在地名]彦根市馬場ばんば一丁目

観音信仰で知られる北野きたの寺の門前筋にあるため江戸期は観音堂筋と通称したが、明治二二年(一八八九)彦根町の町制施行に伴い観音堂筋町と公称した。武家町。慶安四年(一六五一)の家並帳(彦根市史)では禄高一千―五〇〇石の武士四人、五〇〇―三〇〇石が六人、三〇〇―一〇〇石が一一人、寛延二年(一七四九)の家並分限帳(同書)では同じく一人・五人・一三人となっており、江戸後期には井伊家直属の用人三浦氏(禄高九〇〇石)、弓鉄砲組頭の船橋氏・杉原氏、母衣の石原氏、藩主側役の勝野氏、町奉行の船橋氏、目付の西村氏、松原蔵奉行の相馬氏、皆米札奉行の宇津木氏などが住していた(井伊家役人帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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