覚善(読み)かくぜん

朝日日本歴史人物事典 「覚善」の解説

覚善

没年:文政9.7.1(1826.8.4)
生年寛延2(1749)
江戸後期,名古屋の法華行者。俗名茂左衛門。のちに覚善院日行とも呼ばれた。出身地は「今村」ないし「愛知郡加古村」とされるも未詳。〓〓喜之と同居,喜之に如来教創唱の契機を与えた。当初は喜之の神 憑の真正性を否認したが,享和3(1803)年から諸願を教祖喜之に取り次ぐ役割を果たした。如来教の宗教思想に含まれる法華系の要素は主に彼が提供した可能性が高い。読経意義を強調するなど,教祖とはしばしば対立しながら布教に従事,文政3(1820)年,尾張藩による最初の如来教弾圧で喚問され,知多郡緒川村(愛知県東浦町緒川)に退居した。

(神田秀雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚善」の解説

覚善 かくぜん

1133-1196 平安後期-鎌倉時代の僧。
長承2年生まれ。高野山北室院の房光に師事して灌頂(かんじょう)をうけ,真言宗中院流をつたえられる。建久5年(1194)高野山検校(けんぎょう)となり,引接(いんじょう)院をひらく。その教えは引接院流とよばれた。建久7年10月死去。64歳。紀伊(きい)伊都郡(和歌山県)出身。字(あざな)は法揚。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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