西院小泉城跡(読み)さいいんこいずみじようあと

日本歴史地名大系 「西院小泉城跡」の解説

西院小泉城跡
さいいんこいずみじようあと

山城名勝志」に「土人云、西院村四条北側総土手西三町許有藪、小泉城趾也、少々堀形残」とあり、西大路四条の西北にあったらしい。中古京師内外地図は四条大路北、宇多うた小路と馬代ばだい小路の辺りに小泉城を描く。

城の名は平安時代から鎌倉期にかけて、この地が西院小泉庄とよばれたことによるが、城はその辺りを地盤とした小泉氏の築いたものといわれる。「名所都鳥」(元禄三年刊)に「道場畷の東南にあり。応仁乱後公方家権威おとろへしかば、譜代三十六人衆おほくうせて、わづか細川松井、小泉残れり。此城は小泉のかまへし跡也。細川・松井の城は西岡に有」と記す。

「長享年後畿内兵乱記」によれば、永禄五年(一五六二)八月、京の支配権を握っていた三好一族の一人三好久助の在陣を「其後三好久助為警固陣西院小泉城」と述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報