西船場町(読み)にしせんばまち

日本歴史地名大系 「西船場町」の解説

西船場町
にしせんばまち

[現在地名]徳島市藍場町あいばちよう一―二丁目

徳島城下うち町と新町しんまち川対岸の新町まで架渡した新町橋の北詰から、上流の河岸に築かれた土居の外側河岸にできた船場の町。造成年代は明らかでないが、寛永八―一三年(一六三一―三六)の忠英様御代御山下画図には八棟の町家が描かれ、正保三年(一六四六)の徳島城之図(国立公文書館蔵)には内町の他の町々同様に町屋とある。安政年間(一八五四―六〇)の御山下島分絵図には「西船場」、明治初年の徳島藩御城下絵図(県立博物館蔵)では「内西船場」と記載されている。貞享二年(一六八五)の市中町数並家数(民政資料)には西船場片町とみえ、町数一町九間の東西の通りで、家数一八軒。なお新町橋下流側には東船場片町(現南内町一―三丁目)があり、町数一町九間の東西の通りで家数五軒であった。

徳島藩は江戸時代を通して藍玉やの生産を奨励し、その売買は藩の専売制のもとで初めは藍方代官所が直接行っていた。文化元年(一八〇四)に徳島藩は藍問屋職四軒を新たに指定して藩外取引の値建市(藍大市)などにあたらせることとした。この四軒は四宮勘兵衛・上崎仲五郎・松浦孫兵衛・矢辺(矢部)孝太郎で、藍方代官所に近い西船場町に開業した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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