西水橋(読み)にしみずはし

日本歴史地名大系 「西水橋」の解説

西水橋
にしみずはし

[現在地名]富山市水橋中町みずはしなかまち水橋川原町みずはしかわらまち水橋山王町みずはしさんのうまち水橋辻みずはしつじどう

北は富山湾に臨む。常願寺川に白岩しらいわ川が合流したあとの水橋川(現白岩川)河口左岸に位置し、対岸東水橋、南西は辻ヶ堂村、南東畠等はたけら村。明治二四年(一八九一)から同二六年にかけての常願寺川改修によって同川は白岩川と分離し、現在は西方を流れる。藩政期には東水橋とともに水橋浦を形成した町場で、郷帳類には西水橋村とみえる。水橋川河口の沿海民のうち漁労・漁商に従事する人々が西水橋を、農業に当たる人々が辻ヶ堂村を村立てしたと考えられる(富山県史)。慶長一三年(一六〇八)一〇月二〇日の西水橋御検地之事(「東水橋旧記」富山市水橋郷土史料館蔵)に「一 八段大四拾八歩 屋敷畠共、分米 弐拾六俵弐斗」とみえる。正保郷帳では浦方・地子方と注記され、高一三石余は畑で、地子方八反余とある。明暦二年(一六五六)の村御印留および寛文一〇年(一六七〇)の村御印(三箇国高物成帳)では東水橋村とともに水橋浦と確定された。天保一〇年(一八三九)まで浦方十村の支配下に置かれたが、同年以降西水橋村は上条組に所属。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報