西横堀川
にしよこぼりがわ
土佐堀川と道頓堀川を南北に結び、東区・南区と西区の境界を南流していた堀川。西区と北区にまたがる肥後橋の上手で土佐堀川から直角に南に分流し、途中で江戸堀川・京町堀川・阿波堀川・立売堀川を西に分流、長堀川と交差し、堀江川を西に分流して浪速区湊町一丁目で道頓堀川に直角に合流していた。
阿波堀川の開削が慶長五年(一六〇〇)であるため、西横堀川はそれ以前の開削とされていたが(大阪市史)、元和五年(一六一九)下難波村(現浪速区など)田地三町余が横堀川の用地とされていることから(「古来より新建家目論見一件」成舞家文書)、この頃開削もしくは延長がなされたと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報