西木倉村(読み)にしきのくらむら

日本歴史地名大系 「西木倉村」の解説

西木倉村
にしきのくらむら

[現在地名]御船町木倉きのくら

南は今城いまじよう村・うし村、西は南木倉村に接する。日向往還が村を横断し、四里木があった。往還にある門前川もんぜんがわ橋は石造眼鏡橋で、弘化四年(一八四七)以前の架橋と推定される。慶長国絵図に村名の記載はないが、慶長一二年(一六〇七)検地帳が作成されている(「肥後豊後検地諸帳目録」県立図書館蔵)。同一三年、木倉村のうち一六二石三斗余が鳥居次郎右衛門に宛行われている(同年一〇月一三日「加藤清正黒印状」鳥居文書)。木倉手永に属し、「肥集録」に田畑・風戸・門斎の小村名がみえる。明治初年の木倉手永手鑑には村高などの記載はないが、揚酒本手一本・質屋札二枚・眼鑑橋二ヵ所がみえる。

西木倉村
にしきのくらむら

[現在地名]那珂町西木倉

那珂川の左岸に位置し、北は豊喰とよばみ村。集落の西側台地に古墳群があり、南部の水田地帯には二反所にたんしよ小荷反田こにたんだ三反田町さんたんだまち・五反田・六反田などの地名が残り、条里制の名残といわれる。

西木倉村地誌調書(那珂町役場蔵)に「往古大掾氏平国香世々之ヲ領シ次ニ江戸氏水戸城主トナリシカ佐竹義重ノ為メニ滅セラル後徳川氏ノ封地ヲ定ムルニ及ンテ佐竹氏ヲ出羽ニ移ス」とある。「田制考証」に「慶長七八月一日、案内者、掃部、藤八郎、常州中之郡筋西木倉村御検地之水帳」とみえ、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高にも「西木倉村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報