20世紀日本人名事典 「西崎 弘太郎」の解説 西崎 弘太郎ニシザキ コウタロウ 明治〜昭和期の薬学者 東京女子薬専校長。 生年明治3年5月(1870年) 没年昭和13(1938)年8月17日 出身地備前国(岡山県) 学歴〔年〕帝国大学卒 学位〔年〕薬学博士 経歴第二高等学校教授、東京衛生試験所技師などを経て、明治39年横浜衛生試験所所長、大正11年東京衛生試験所所長となり、特許局技師を兼任。この間、オランダのハーグで開催された万国阿片会議に日本代表として出席、第1次世界大戦には重要医薬品の自給策として合成研究と実地指導に当たる。また警視庁技師、特許局審査官、臨時震災救護事務局事務官などを務め、昭和7年退官。8年東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)校長に就任して女子薬学教育に専念した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報