西大寺村(読み)さいだいじむら

日本歴史地名大系 「西大寺村」の解説

西大寺村
さいだいじむら

[現在地名]岡山市西大寺・西大寺上さいだいじかみ一―三丁目・西大寺中さいだいじなか一―三丁目・西大寺南さいだいじみなみ一―二丁目・西大寺東さいだいじひがし一―二丁目・向州むこうす金岡東町かなおかひがしまち一丁目・西大寺中野本町さいだいじなかのほんまち

南西流する吉井川河口近くの右岸にあり、芥子けしご(二三五・四メートル)南東方にあたる。南は金岡かなおか村、西は中野なかの村、北は久保くぼ村など。中世、金岡庄に含まれ、西大寺の門前市場として、また後背地からの物資が集散する川湊集落として発展した。元亨二年(一三二二)作成と伝えられる西大寺境内絵図(西大寺蔵)の書入れなどによれば、西大寺の門前には定期市が立ち、市場敷は二反で、金岡庄の地頭方と領家方に分れていた。酒屋・魚座・餅屋・莚座・鋳物座などがあり、酒屋は毎年一家ごとに一〇〇文、魚座は毎年三〇〇文と船艤ごとに一〇〇文、餅屋・莚座・鋳物座は毎年各一〇〇文を地頭や領家に差出すほか、酒屋は市日に地頭へ酒二升を差出すことになっていた。今日、寺の門前付近を市場町と称しているのは、こうしたことに由来する。吉井川の川湊に臨むこの市場はやがて門前町湊町として発展し、室町時代末期には西大寺の門前には小都市が形成されていたようである。

西大寺村
さいだいじむら

[現在地名]奈良市西大寺町・西大寺赤田あこだ町一―二丁目・西大寺北町一―四丁目・西大寺国見くにみ町一―二丁目・西大寺小坊こぼう町・西大寺さかえ町・西大寺しば町一―二丁目・西大寺新池しんいけ町・西大寺新田しんでん町・西大寺新町一―二丁目・西大寺高塚たかつか町・西大寺たからおか・西大寺東町一―二丁目・西大寺本町・西大寺南町・西大寺竜王りゆうおう町一―二丁目・あやめ池北いけきた一―三丁目付近

平城宮跡西北に位置し、西大寺の所在地。慶長郷帳の村高一〇二九・一四石のうち五九一・二八五石が旗本佐々行政領。一三七・八五五石が旗本石河貞政領。三〇〇石が西大寺領。慶応三年(一八六七)の和州添下郡西大寺村野神村明細帳(天理図書館文書)による惣反別一〇町一反八畝五歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報