西倉吉町(読み)にしくらよしまち

日本歴史地名大系 「西倉吉町」の解説

西倉吉町
にしくらよしまち

[現在地名]米子市西倉吉町・朝日町あさひまち

東倉吉町の西にあり、北西へ延びる通り両側の町人町。西は尾高おだか町に続く。西にし町とも称された。総間数約一〇三間半、ほかに加茂かも川に向けて北へ入る羽織屋はおりや小路(四五間)、東倉吉町との境を南の外堀へと入る鉄砲てつぽう小路(三四間)があった(明治二年「町々間数等書上」米子市史)。元禄八年(一六九五)の米子町中竈之覚(同書)では家持四二軒・借家六三軒。文化元年(一八〇四)の下札に基づく生高五二石余、物成三一石余(同書)

町禄は畳仕立・茣蓙呉服・太物・小間物尾高町とともに許可され、東倉吉町と同様宿屋株も許されていた。宿屋は新庄屋・池谷屋・高島屋・福山屋・斎藤屋・油藤屋・岩見屋などがあった(「御用日記」鹿島家文書)。止宿人扱いについては届出を厳しく要求され、文久元年(一八六一)阿波国の紡車卸売業者が許可なく因伯両国で紡車等を売る商人の差止めを訴えた際、これら商人の止宿先として西町宿の岩見屋助右衛門の名があげられ(在方諸事控)、慶応四年(一八六八)には新庄屋が止宿人届出遅れを追及された(前掲御用日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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