蛭口村(読み)ひるぐちむら

日本歴史地名大系 「蛭口村」の解説

蛭口村
ひるぐちむら

[現在地名]マキノ町蛭口

寺久保てらくぼ村の南にあり、南は知内ちない村。享徳(一四五二―五五)頃と思われる旦那在所注文(熊野那智大社文書)に「ひろくち」とある。天正一六年(一五八八)四月一五日の豊臣秀吉書状(妙法院文書)によれば「海津西庄蛭口村内百石」が妙法みようほう(現京都市東山区)に与えられている。慶長五年(一六〇〇)佐久間安政(元和二年以降信濃飯山藩)領、寛永一五年(一六三八)幕府領、慶安四年(一六五一)徳川綱重(寛文元年以降甲斐甲府藩)領となる。宝永二年(一七〇五)幕府領となり、享保九年(一七二四)以降大和郡山藩領。寛永石高帳に高一千一九九石余とあり、慶安高辻帳では田方五七六石余・畑方二一四石余・永荒四〇八石余、ほかに小物成米六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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